流行る童歌(はやるどうか) 桃園の巻

あらまし

黄巾賊(こうきんぞく)の馬元義(ばげんぎ)らと劉備(りゅうび)は、荒れ果てた寺を見つけ、入った。

馬元義らが寺に入ったのは、食べ物をいただくためである。しかし、先に黄巾賊の者が入っおり、すべてを奪い尽くしていた。
薄暗い堂の中には、骨と皮ばかりの老僧がいるだけだった。

老僧は劉備の顔を凝視し、祖先を問うた。

老僧が劉備を凝視していたのは、劉備の人相骨がらから帝系の流れを感じたためであった。

馬元義は劉備に、黄巾党の仲間へ入るよう誘った。

馬元義が劉備を黄巾党へ誘ったのは、老僧が劉備に語っていたことを聞いたためであった。

馬元義は劉備に、黄巾党の勃興を談義した。

馬元義が劉備に談義した内容は以下のとおり。
今から十年ほど前、鉅鹿郡(きょろくぐん)出身の張角(ちょうかく)という無名の士がいた。
ある時、張角が山中へ薬をとりに入ると、そこで道士に出会った。道士は張角に三巻の書物を授けた。道士は南華老仙(なんかろうせん)と名乗り、消えた。
張角は山中での出来事を里の人々へ話し、門を閉ざして南華老仙の書を学んだ。
ある年、悪疫が流行した。張角は門を開き、病人を救いに出た。門の前には、五百人の者が弟子にしてくれと集まっていた。
五百人の弟子は、秘薬をたずさえ、悪疫の地を廻り、病人を救った。それでも治らぬ者は、張角が大喝の呪いを唱え、符水(ふすい)の法を施し、病を治した。張角のもとに人が集まりだし、勢力がひろまっていった。
張角の弟である張梁(ちょうりょう)と張宝(ちょうほう)のふたりを、天公将軍(てんこうしょうぐん)、地公将軍(ちこうしょうぐん)とよばせ、自身は大賢良師(だいけんりょうし)張角とした。
張角が結髪を黄色い巾(きれ)でつつんでいたため、それが全軍にひろまった。旗は黄色を用い、大旆(おおはた)には
 蒼天已死(そうてんすでにしす) 
 黄夫当立(こうふまさにたつべし)
 歳在甲子(としこうしにありて)
 天下大吉(てんかだいきち)
という宣文を書いた。
張角は、服従している愚民へは略奪を奨励し、逆らう者へは、容赦なく罰し、財宝を奪った。
漢帝の宮中は退廃と内争で、地方へ兵をやるどころではなかった。
黄巾賊の勢力は諸地方に及んだ。

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