徐庶とその母(じょしょとそのはは) 孔明の巻

内容

新野(しんや)で劉備軍に敗れた曹仁(そうじん)と李典(りてん)は、許都(きょと)へ逃げ帰ってきた。
曹操はふたりに対して敗戦の責任を問わなかった。
ふたりからの報告により、単福(たんふく)という者が劉備の軍師として参加していることがわかった。
程昱(ていいく)が言うには、その者は徐庶(じょしょ)という名で、単福とは仮の名であり、程昱自身は徐庶の足元にも及ばないという。
曹操は、それほどの者が劉備の側についたことを悔しがった。
「徐庶は親孝行者であるため、老母から徐庶に許都にくるようにと呼びかければいいのです」程昱は言った。

数日後、徐庶の母は許都へ迎えられた。
「おっ母さん。あんたから徐庶へ手紙を書いてくれんか。ここへ来るようにと」曹操は徐庶の母に言った。
「漢の逆臣にわが子を仕えさすことはできません」徐庶の母は言った。
曹操は激怒して、斬れと命じた。
程昱は曹操をなだめ、曹操は程昱にあとをまかせた。

程昱は徐庶の母をひきとり、実の母のように面倒をみた。珍しい食物や衣服などを贈ったりした。
徐庶の母は程昱の親切さに対し、たびたびお礼の手紙を送った。
程昱はその手紙から徐庶の母の筆癖をまね、徐庶宛に手紙を送った。

ある日。徐庶のもとに、母の使いと名乗る者が一通の手紙を届けた。
「一日も早く母の側に来てたもれ。母に顔を見せて下され」徐庶は手紙を読み、独り泣いた。

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