内容
襄陽(じょうよう)城中で、故劉表(りゅうひょう)の嫡子劉琦(りゅうき)が亡くなる。
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二十日ばかりがたった日。孫権(そんけん)の名代として魯粛(ろしゅく)が劉備を訪ねる。
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孫権からの礼物を供え、悔やみを述べた魯粛は、酒宴に迎えられる。
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「琦君(劉琦)は世を去ったことゆえ、荊州(けいしゅう)は呉(ご)へお返しあるべきでしょう」魯粛は劉備に迫る。
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諸葛亮(しょかつりょう)は反論したうえで、「後日、蜀(しょく)を得たあかつきには、荊州をお返しする」と約束。
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劉備、諸葛亮、魯粛の署名が入った証書を持った魯粛は、柴桑(さいそう)へ寄り、周瑜(しゅうゆ)の見舞う。
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魯粛から一部始終を聞いた周瑜は魯粛に、「呉侯(孫権)のお妹君を玄徳(げんとく(劉備))へ嫁がせる」という策をささやく。
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間者の報告によると、劉備の正室甘(かん)夫人は病でなくなっているという。
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周瑜はこの策を孫権宛の手紙に書き、魯粛へ預ける。
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呉都へ帰った魯粛は孫権に報告をし、周瑜からの手紙を差し出す。
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数日の後。呉の呂範(りょはん)は呉の修交使節として荊州へ向かう。
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呂範は劉備に会うと、劉備と孫権の妹との縁談をもちかけ、「呉へお出でください」と言う。
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その日の夜。劉備は諸葛亮らに意見を求め、賛成する諸葛亮に皆が賛成する。
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諸葛亮は準備を進め、随員の大将に趙雲(ちょううん)を選ぶ。
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「事きわまる時はこの袋を開けるがいい」諸葛亮は三つの錦袋を趙雲に授ける。
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建安(けんあん)十四年冬。十艘の船は、劉備、趙雲、兵五百を乗せ、呉へ向かう。
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呉へ入るに先立ち、趙雲は諸葛亮から渡された錦袋の第一の袋を開ける。
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「まず、喬国老(きょうこくろう)を訪ねよ」一文に書いてある。
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劉備と趙雲は喬国老の家へいきなり訪ねる。
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