落鳳坡(らくほうは) 図南の巻

内容

荊州(けいしゅう)を守る諸葛亮(しょかつりょう)から涪城(ふじょう)にいる劉備に書簡が届いた。
諸葛亮の書簡を読み終わった劉備は、また最初から読み始め、それを何度も繰り返した。その様子はまるで恋文を読んでいるように思われた。
書簡を読み終えた劉備は、そばにいた龐統(ほうとう)に、「先生、孔明(こうめい)は留守にあっても絶えず予の身の上を心配しているようだ。近頃、天文を調べると、大将の身に凶事の兆(きざ)しあり、くれぐれも身命に気をつけてくださいとある。そこで、予も荊州へ一度帰って、孔明とよく協議してみたいと思う。それが万全かと思うがどうだろう」と尋ねた。
龐統はしばらく返事をしなかった。それは、劉備と諸葛亮の関係に嫉妬を感じたのか、龐統よりも諸葛亮を重用していることにに苛立ったからだと思われる。
龐統は反対し、劉備には速やかに兵を進めることを進言し、説得した。
劉備は龐統の策をとり、次の日、涪城を出発し、前線に着いた。

劉備は、以前に張松(ちょうしょう)から贈られた西蜀(せいしょく)四十一州図をひろげて、考え込んでいた。
そこに、法正(ほうせい)が一本の絵図を抱えてやってきた。その絵図によると、雒山(らくざん)の北に一すじの隠し道があり、雒城の東門に通じる道と、もうひとつ、あの山脈の南に一道の間道があり、雒城の西門に通じる道があるという。ただし、北山の道は広くて越えやすいが、南山の道は狭くて嶮岨であった。
劉備は龐統に「軍を二つに分け、龐統先生には北方の道をすすみ、予は南から山を越えてゆく。雒城で落ち会おう」と命じた。
広くて越えやすい北方の道を命じられた龐統は、不満であったと思われる。
劉備は龐統の態度を見て、「ゆうべ、夢に怪神(けしん)があらわれた。故に軍師の身が気づかわれるのだ」と言った。
龐統は一笑に付した。

陣払いをして立つ朝。龐統が乗る馬が暴れだして右の前脚を折った。そして龐統は落馬した。これは不吉のしるしと思われる。
劉備は自身の乗っている白馬の手綱をひいて、龐統に贈った。
龐統は涙を流した。劉備の恩がありがたかったと思われる。
劉備から贈られた白馬に乗り換えた龐統は、先鋒に魏延(ぎえん)をおいて北の大路を進んだ。

雒城では、蜀軍の張任(ちょうじん)、呉懿(ごい)、劉璝(りゅうかい)が軍議を開いていた。
そこに、劉備の大軍が南北二道にわかれて前進してくるとの知らせが入った。
張任は屈強な射手三千人を選りすぐり、山道の嶮岨に伏せて待った。
「ここへ向ってくる敵軍の大将らしき者は、まさしく白馬に乗っています。敵全軍は、こちらへ登ってくる様子です」と知らせが入った。
張任は三千の射手に「白き馬に乗っている者こそ劉備。白馬を目じるしに、矢数(やかず)石弾(いしだま)をあびせかけろ」と命じた。

龐統の部隊が進む前方は、両側の絶壁が迫り合い、樹木の枝は重なりあう、険しく狭い道であった。
途中で捕虜にした蜀軍の兵に龐統は「ここは何という地名の所か」とたずねると、「落鳳坡(らくほうは)とよびます」と答えた。
龐統の顔色は変わり、全兵へ「もどれっ。道をかえて、ほかから越えろ」と号令した。龐統の道号は鳳雛(ほうすう)であるため、落鳳坡を「鳳雛が落ちる坂」と読んだと思われる。

その時、矢と石弾が雨のように降ってきた。
龐統の乗った白馬はたちまち紅(くれない)に染まり、白馬とともに龐統は命を落とした。三十六歳の若さだった。
勢いに乗った蜀兵は、龐統の部隊へ襲いかかり、蜀兵から逃れることはできなかった。

先鋒にいた魏延は、龐統よりもはるか先に進んでいた。
「後続部隊に戦闘が起った」との知らせを受けた魏延は、部隊を後ろへ引き返した。
魏延の部隊が岩山の横をくり抜いた洞門の手前まで来ると、張任の一手が上から岩石や矢を注ぎ落してきた。
引き返すことができなくなった魏延は、予定どおり雒城(らくじょう)まで進み、南路から進んでくる劉備本軍と合流することにした。

魏延の部隊は雒山(らくざん)を越えて降りてゆくと、真下に雒城が、そして四つの門が見えた。
それらの門に控えていた蜀の兵は、魏延の部隊を見るや、門を出て、取り囲んだ。
最期を覚悟した魏延は力の限りを尽し戦った。
張任の軍が現れ、魏延は観念したとき、劉備軍の先鋒黄忠(こうちゅう)が駆けつけた。劉備本隊も駆けつけ、蜀軍と劉備軍の戦力は拮抗した。
劉備は龐統の姿が見えないため、劉備全軍を涪城へ退かせた。

涪城に逃げ帰った残兵から、劉備は、龐統が命を落としたことを聞き、悲嘆した。
魏延は「すぐに雒城を落とすべし」といきり立ったが、劉備は城門を閉めて、「決して出るな」と命じた。
龐統がいなくなった今、頼れるのは諸葛亮のみ。
劉備は書簡をしたため、それを関平(かんぺい)に持たせて、荊州(けいしゅう)へ向かわせた。

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