内容
都府の百官は曹操(そうそう)を魏(ぎ)王の位に推挙しようとする。
↓
尚書(しょうしょ)の崔琰(さいえん)が諸人の議場で、曹操を魏王に薦める者たちを諫める。
↓
「荀彧(じゅんいく)や荀攸(じゅんゆう)みたいな終りを遂げたいのか」諸官は怒り、大喧嘩になる。
↓
曹操は崔琰を獄へ放り込む。
↓
「逆賊は曹操なり」獄の中から崔琰は大声で叫び散らすため、廷尉(ていい)は崔琰を棒で打ちたたき、命を奪う。
↓
建安(けんあん)二十一年五月、官吏軍臣たちは曹操を魏王とする旨を帝に上奏して詔(みことのり)を仰ぐ。
↓
帝はやむなく、鍾繇(しょうよう)に詔書の起草を命じ、曹操を魏王とした。
↓
曹操には四人の子があり、みな男子で、曹丕(そうひ)、曹彰(そうしょう)、曹植(そうしょく)、曹熊(そうゆう)という。
↓
ある時、曹操は賈詡を呼び、世継ぎには曹丕と曹植とどちらがよいかと尋ねる。
↓
賈詡はあえて答えないように話をそらしていたが、再三、曹操が尋ねるため、「さきに亡んだ袁紹(えんしょう)や、劉表(りゅうひょう)がよいお手本ではありませんか」と答える。
↓
曹操は大いに笑い、決心する。その後まもなく、嫡子曹丕を世継ぎとすると発表。
↓
その年の冬十月、鄴都(ぎょうと)に魏王宮が完成。
↓
完成を祝う宴を開くため、府から諸州へ「特色ある土産を献上せよ」と布達。
↓
呉は温州(うんしゅう)の柑子(こうじ)四十荷を人夫に背負わせて都へ送る。
↓
人夫たちは鄴都(ぎょうと)の途中にある山中で荷をおろして休憩。
↓
そこへ突然、老人がやってきたので、人夫のひとりが「爺さん。助けてくれ。これからまだ千里もあるんだ」と冗談を言った。
↓
老人はひとりの人夫の荷物を背負い、ほかの人夫たちへ、「おぬしらの荷物も、みなわしが背負ってやる。さあ、ついてこい」と言って、走りだす。
↓
老人にひとつでも荷物を奪われては大変と、人夫たちは荷物を背負って、あわてて続いて走る。
↓
人夫たちは荷を背負って走っているが、少しも重さを感じないので、不思議に思った。
↓
別れ際に、人夫の奉行が老人に素性をたずねると、「わしは魏王曹操とは同郷の友で、左慈(さじ)といい、道号は烏角(うかく)先生とも呼ばれておる」と老人は言った。
↓
人夫たちは鄴都の魏王宮に着く。
↓
温州柑子が届いたと聞いて、曹操は盆からひとつを取って割る。柑子の実は空っぽである。
↓
荷を運んできた奉行を呼んで、曹操は問いただすと、途中で左慈という奇異な老人に出会ったことを話した。
↓
曹操に会いたいと左慈が訪れる。
↓
曹操は左慈を柑子のことで責めると、左慈は、自身で柑子を取って、割ってみせた。果肉はいっぱいである。
↓
曹操は左慈に毒味を命じる。
↓
左慈は笑って、「酒と肉をいただきたい。柑子は口直しに後でいただきます」と返答。
↓
曹操は、酒五斗に、大きな羊の丸焼きを与えると、左慈はぺろんと平げて、まだ物足らない顔をする。
↓
左慈は言った。「天下は劉備にまかせればよいのです。大王がおられるよりも、万民、朝廷、ともにご安心になりましょう」
↓
曹操は左慈を獄へ放り込み、数十名の獄卒はかわるがわるに左慈を拷問をする。
↓
獄中から聞えてくるのは、左慈の笑い声である。一切の水と食べ物を禁じたが、七日たっても十日経っても、左慈は元気である。
↓
魏王宮落成の大宴の日が来た。
↓
そこに突然、高下駄をはいて、藤の花を冠にさした左慈が現れる。
↓
曹操は左慈を困らしてやろうと考え、そこの大花瓶に牡丹の花を咲かせてみよと命じる。
↓
左慈は花瓶に向けて唇から水を噴くと、牡丹の大輪が咲きだした。
関連記事