藤花の冠(とうかのかんむり) 図南の巻

内容

大花瓶に牡丹の花が咲いた。千客はみな眼をこすり合う。

そこへ、魚の鱠(なます)が運ばれてくる。

左慈(さじ)はそれを見て、なぜ松江(しょうこう)の鱸(すずき)ではないのかと尋ねる。

生きた鱸を千里の松江から持ってこられるわけがない、と曹操は言い訳。

左慈は釣竿を求め、欄(らん)の外にある池へ糸をたれると、大きな鱸を何尾も釣りあげる。

池の中の鱸は予が池に放したものだ、と曹操が言うと、松江の鱸はエラが四つあり、ほかの鱸は二つしかない、と左慈は言う。

左慈の釣った鱸を調べると、みなエラが四枚である。

曹操は難題を吹っかける。「松江の鱸をなますにして食する時には、かならず紫芽(しげ)の薑(はじかみ ショウガ科の多年草)をツマに添えるという。薑はあるか」

左慈は左の袂へ手を入れ、薑を黄金の盆へ盛る。

近侍が曹操に盆を捧げると、薑は一巻の書物に変っている。その書物は「孟徳新書」とある。

「誰が書いた書物か」曹操は尋ねると、「わかりませんが、大したものではありますまい」左慈は笑って答える。

左慈は曹操の前へ進み、不老の千載酒(せんざいしゅ)と言って、盃の半分を自分が飲んだ後、曹操に差しだす。

曹操はその酒をふくむと、水っぽくて飲めたものではない。

曹操は怒りをぶつけようとした瞬間、左慈は手をのばして盃を奪い取り、堂の天井へ放りあげる。

盃は一羽の白鳩となり、殿中を飛びまわり、酒をこぼし、花をたおし、客の肩に、顔に、まとわりつく。

いつの間にか、左慈は消えていた。

曹操は左慈をすぐに捕らえてこいと命じる。

曹操の命を受けた許褚(きょちょ)は、親衛軍中の屈強五百騎を率いて追いかける。

片足を引きずりながら行く左慈を見つけるが、馬に鞭打っても、左慈に追いつくことができない。

許褚は部下の五百騎に弓で射るように命じる。

五百の矢は一斉に左慈に向かうが、いつの間にか左慈の姿は消えており、羊の群れだけがそこにある。

羊の中に左慈が隠れているかもしれない。許褚は数百の羊を一匹のこらず害した。

しかし左慈は見つからず、引き返していると、一人の童子が泣いている。

許褚が声をかけると、童子は「おらの飼っている羊を。ばかやろう」と言って、逃げた。

一人の部下は、あの童子も怪しいと、矢をうしろから射るが、いくら射っても、矢は地に落ちた。

つぎの日、童子の親が王宮へ謝まりにきた。

息子がお城の大将にむかって、悪口をたたいて逃げたことに対するお詫びであったが、よく聞くと、害されたはずの羊は牧場で群れ遊んでいるという。

曹操は、今朝、許褚からの報告を聞いていたので、この奇怪な話にぞっとする。

王宮の画工を呼んだ曹操は、左慈の肖像を画かせ、各地に数千の肖像画を配布。

三日もするうちに、各県郡から次々と左慈が捕らえられ。王宮の獄には、五百余人の左慈が収監される。

捕らえられた者は、誰を見ても肖像画のとおりの左慈である。

曹操は城南の練兵場に祭壇を設置し、五百余人の左慈の首を一斉に斬った。

屍(かばね)の山から精気が立ち上り、空中にひとりの左慈が現れる。

左慈は白い鶴に乗っており、魏王宮の上を悠々と飛んでいる。

曹操は空中にいる左慈を射よと命じ、弓鉄砲を撃ちかけたとき、たちまち狂風が吹き起こって人々は眼をふさぐ。

練兵場に積みあげられた五百余の屍から、ひとかたまりの精気が立ち上り、王宮の内へ流れ入ると、左慈の姿となった五百余体の妖人が、約一刻のあいだ、舞い狂った。

魏の諸大将はみな震えあがり、曹操は後閣に狂風を避けたが、その夜から曹操は近侍の者に体の不調を訴える。

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