馬超と張飛(ばちょうとちょうひ) 図南の巻

内容

夏侯淵(かこうえん)、姜叙(きょうじょ)、楊阜(ようふ)の連合軍に、歴城(れきじょう)を攻め落とされた馬超(ばちょう)は、逃げ落ちた。
隴西(ろうせい)の州郡は治安をとりもどし、曹操(そうそう)は姜叙にこの地域の治安を託し、楊阜を関内侯(かんだいこう)に任じた。

馬超とその部下六、七名は張魯(ちょうろ)がいる漢中へ逃げた。
張魯には年頃のむすめがおり、馬超を張家の婿としたいと一族の大将楊柏(ようはく)に相談した。
しかし楊柏は反対したため、張魯はあきらめた。

このことを知った馬超は楊柏を恨んだ。
馬超に恨まれていることを知った楊柏は、兄楊松(ようしょう)に助けを求めた。
この日。楊松は蜀(しょく)の太守劉璋(りゅうしょう)の密使黄権(こうけん)との密談の予定があったため、弟楊柏を邸に待たせて、黄権に会いに行った。

黄権は楊松に、「劉備(りゅうび)を退治してくれたなら、蜀の二十州をお譲りする用意があります」と言った。
城へのぼった楊松は、黄権のもってきた話を張魯に説明した。
そこに馬超が入ってきて、「それがしに任せていただければ、葭萌関(かぼうかん)を破り、蜀に入って劉備を討ってみせます」と言った。
張魯は馬超に兵を与え、楊柏を軍奉行(いくさぶぎょう)にして、蜀を援護することにした。

劉備軍と蜀軍は綿竹関(めんちくかん)で対峙した。
しばらくして、魏延(ぎえん)は綿竹関第一の勇将李厳(りげん)を捕らえ、劉備の前に置いた。
劉備は魏延の功をたたえ、「人の模範ともいわれる方を辱(はずかし)めるには気の毒だ」と李厳の縄を解いた。
李厳は劉備に恩を感じ、仕えることを誓い、綿竹関へ向かった。
綿竹関の大将費観(ひかん)を李厳は説得し、綿竹関を劉備に明け渡した。

西涼(せいりょう)の馬超が漢中(かんちゅう)の軍を率いて葭萌関(かぼうかん)へ向かっているとの知らせが劉備と諸葛亮に入った。
諸葛亮は張飛に、関羽に代わって荊州を守れ、と命じた。
張飛は反論し、指を噛んで誓約書を書き、諸葛亮と劉備の前にさしだした。
馬超討伐軍は張飛を加え、先鋒に魏延、後陣に劉備を置いて出陣した。

連日、馬超軍は劉備軍に猛攻撃をつづけたが、劉備軍は先手も中軍も関内へ入った。
馬超軍が関門に着くと、関上から魏延があらわれ、戦いを申し出。
漢中の楊柏(ようはく)が名乗り出て、魏延と十合あまり刃を合わせたあと、部下とともに逃げた。
魏延は楊柏を追うと、前方に西涼の馬岱(ばたい)がいたため、そちらへ向かった。
馬岱は魏延と刃を合わせるが、逃げた。
逃げる馬岱は振り向きざまに一矢を放ち、魏延の右ひじを射た。
魏延は葭萌関へ逃げ、馬岱は崩れた味方を立て直し、関門の下まで攻め込んだ。

関上から張飛が駆け下り、馬岱は大剣を振りかざして張飛に斬りかかった。
張飛は一丈八尺の大矛(おおほこ)で馬岱の剣をたたき落した。
逃げる馬岱を、張飛は追いかけようとしたので、関門の上から見ていた劉備は張飛を止めた。

翌日。張飛と馬超の決戦が始まった。
百合余り戦っては馬を換え、五、六十合戦っては水を飲み、また戦った。
暗くなりかけていたので、二人は休息をとり、再び向かいあったが、馬超ははやくも逃げだした。
張飛は馬超を追うと、馬超は八角棒を持って張飛を待っていた。
劉備は張飛のあとを追い、馬超と張飛に「きょうは退いてくれ、わが軍も退く」と言い、両者は退いた。

その日の夜。諸葛亮は葭萌関に着いて、戦況を聞き、「馬超をお味方へ招いてみせます」と言った。

次の日。蜀中の賢人といわれる李恢(りかい)は劉備を訪ね、「馬超を説得するために来ました」と言った。
李恢は劉備の一書を持って、馬超の陣へ向かった。

馬超を眼の前にした李恢は、「おぬしの父親は誰に命を奪われたのか。そなたが劉備に勝ったところで、歓ぶのは曹操ではないか」と説いた。
馬超は李恢のまえで泣き崩れた。
李恢は「悪いと気がついたら、周りに潜ませている兵を退けんかっ」と言った。
馬超の腕をとった李恢は、劉備のもとへ行こうと誘った。

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