鬢糸の雪(びんしのゆき) 三国志(九)出師の巻

・関羽、敗走す

あらすじ

魏の徐晃から荊州が落ちたと聞いた関平は、混乱してしまい、堰城(えんじょう)へ一旦戻ることにした。
しかし堰城(えんじょう)は黒煙がたっている。逃げてきた味方の兵によると、徐晃の兵によるものだという。
関平は、廖化(りょうか)がいる四冢(しちょう)へ向かうことにした。

徐晃の軍は、向こう山まで追ってきている。
偃城(えんじょう)を失った雪辱をはらすのに焦っていた関平は、廖化を誘い、兵を率いて、夜討ちに出た。
しかし徐晃の策にはまり、関平と廖化は敗走した。四冢の陣は燃えている。
ふたりは樊城(はんじょう)を包囲している関羽の陣へ向かうことにした。

関羽は、関平と廖化を兵家の常だと叱らなかったが、荊州の噂を告げると、敵の流言に乗せられてどうするかと、語気をあらげた。

先鋒である徐晃軍と曹操の中軍、合わせて何十万という大軍が、関羽の陣に迫ってきた。
ついに関羽と徐晃はぶつかった。
偃月(えんげつ)の大青龍刀を、病後久しぶりに握る関羽は、傷が完全に癒えたとはいえず、また、ひげも白くなっており、動きが鈍い。

関平はすぐに退き鐘を鳴らした。
この鐘がきっかけなのか、樊城(はんじょう)に籠っていた曹仁が門をひらいて、関羽軍めがけて突進してきた。

徐晃軍と曹仁軍に、関羽軍は敵わず、襄江(じょうこう)の上流へと敗走し、襄陽に入った。
生き残った味方の兵は少数であり、荊州陥落の噂が事実であったことがここにきて関羽はわかった。

魏軍が襄陽に迫ってきたため、関羽は公安の城へ向かった。
途中、味方の一将が落ちてきて、公安の傅士仁(ふしじん)と南都の糜芳(びほう)は孫権に降伏したという。
関羽は激怒した。これにより肘の傷口が裂け、倒れてしまった。

一方、魏軍はというと、関羽を追っていた魏の曹仁は、兵を収めて曹操の中軍に集まった。
徐晃は、曹操にたたえられ、平南将軍に封じられて襄陽を守ることになった。

メモ

●拙戦(せっせん)
へたな戦いをすること。

●大義親を滅す(たいぎしんをめっす)
大いなる道義のために親縁を捨てること。『春秋左氏伝』隠公四年の言葉。

●慚愧(ざんき)
自分の行為を反省して恥じること。

●豎子(じゅし)
未熟な者をさげすんで言う語。

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