文武競春(ぶんぶきょうしゅん) 望蜀の巻

内容

建安(けんあん)十五年の春。鄴城(ぎょうじょう)の銅雀台(どうじゃくだい)は八年にわたる大工事を終えた。
冀北(きほく)の袁紹(えんしょう)が滅びて九年目となる。
曹操(そうそう)は祝うために、許都(きょと)からここへ来ていた。

「あの戦袍(ひたたれ)の赤い心当(むねあて)を射たものには、あの戦袍を褒美にとらそう」曹操は言った。
曹操の甥である曹休(そうきゅう)、荊州(けいしゅう)の人文聘(ぶんぺい)、曹操の従弟(いとこ)である曹洪(そうこう)、夏侯淵(かこうえん)、徐晃(じょこう)の順に、射当てた。
許褚(きょちょ)と徐晃は組み合い、肉闘して、戦袍をズタズタに引き裂いてしまった。
曹操は大機嫌で一人一人に蜀江(しょっこう)の錦を与えた。

酒たけなわの頃。曹操のもとに許都から知らせが来た。
その内容はこうだ。
呉(ご)の孫権の使者華欽(かきん)が許都に来ていること。
その華欽が劉備を荊州の太守に推薦し、天子のおゆるしを仰いでること。
孫権の妹を劉備に嫁がせたこと。
婚姻の引き出物に、荊州九郡の大半は劉備に属したこと。
それを聞いた曹操は驚いた。
程昱(ていいく)は進言した。
呉の使者華欽に会って、呉へ帰さないこと。
周瑜(しゅうゆ)を南郡(なんぐん)の太守に、程普(ていふ)を江夏(こうか)の太守とすること。

その日の夕方。銅雀台の遊楽も半ばに、曹操は許昌の都へ帰り、程昱の進言どおりにした。

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