内容
故曹操(そうそう)の重臣華歆(かきん)が、許昌(きょしょう)から早馬をとばして鄴都(ぎょうと)へやってきた。
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華歆は、曹操の霊壇にひたいを床につけて礼拝し、太子曹丕(そうひ)に百拝を終えたあと、満堂の諸臣に「なぜ一日も早く太子を立てて、天下に魏(ぎ)の堅固さを示さないのか」と罵る。
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「漢朝から何らのご沙汰がくだらないからだ」諸人は口を揃えて弁解。
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「勅命がくだるのを待っていても、いつになるか知れたものではない」華歆(かきん)は嘲笑いし、漢朝へ迫って勅命をいただいて来たと言う。
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建安(けんあん)二十五年春、曹丕は魏王の位に就く。
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曹丕の弟曹彰(そうしょう)が十万の兵を率いて、長安(ちょうあん)よりこちらへ向かっていると、早馬が曹丕に知らせる。
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曹丕は曹彰の本心を探るため、諫議大夫の賈逵(かき)に出迎えさせる。
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魏城の門外で出迎える賈逵を見た曹彰は、「先君の印璽(いんじ)や綬(じゅ)はどこへやったかね?」とすぐに尋ねる。
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「ここへ参られたのは、父君の喪に服さんためですか、それとも王位を争わんためですか」賈逵は返答。
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曹彰は十万の兵を退け、ただひとり宮門に入って曹丕と対面し、父の死を悲しんだ。
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曹丕は魏王の位をついだ日から改元し、延康(えんこう)元年とし、華歆(かきん)は相国(しょうこく)、賈詡(かく)は大尉(たいい)、王朗(おうろう)は御史大夫(ぎょしのたいふ)に昇進。
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故曹操の大葬も終わったある日、相国の華歆は曹丕の前へ出て進言。「三男曹植(そうしょく)の君と四男曹熊(そうゆう)の君は父君の大葬に列席せず、また即位のご祝辞もありません。その罪をお責めになる必要がありましょう」というのだ。
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曹丕は二人の弟へおのおの使いを出す。
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四男曹熊へ赴いた使者は戻り、涙を流している。曹熊は病弱で寝込んでおり、問罪の書を渡したその夜に自害されたという。
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三男曹植へ赴いた使者も戻るが、その報告に曹丕は激怒。
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