二度祁山に出づ(ふたたびきざんにいづ) 三国志 五丈原の巻

・姜維の策

あらすじ

郝昭(かくしょう)が守る陳倉(ちんそう)の小城を、蜀軍は容易に崩せなかった。
魏の援軍が来る前にと、諸葛亮は総攻撃を開始した。
しかし二十日がたったが、小城は落ちなかった。

そこに、早馬が来た。
魏の先鋒王双(おうそう)の軍が近づいているというのだ。

諸葛亮は、謝雄(しゃゆう)と龔起(きょうき)に各三千騎を与え、魏の先鋒へあたらせた。
そして蜀軍は二十里外へ退いた。

しばらくすると、魏の先鋒にあたった蜀軍が逃げ帰ってきた。
謝雄、龔起ともに王双に斬られたという。

魏の王双軍二万は、陳倉城に近づき、のろしを揚げて城中の者へ合図をおくった。
魏軍は蜀兵を一掃して、城外一帯に布陣した。

諸葛亮は、魏軍の布陣を見て、次の手が浮かばなかったのか、次の行動を起こすことができなかった。
姜維(きょうい)が諸葛亮のもとを訪れ、「『離(り)』ということが大事ではないかと考えられます」と言った。

姜維の一言に、諸葛亮は方針を変えた。
陳倉の谷に魏延の一軍をとどめ、街亭方面の要路には、王平と李恢(りかい)を置いたが、諸葛亮自身は、大軍を率いて祁山(きざん)へ向かった。

一方、魏の長安では、王双からの勝ち知らせを聞き、大都督曹真は歓喜した。
そこへ、先鋒の中護軍費耀(ひよう)が、祁山の谷あいで生け捕った一名の蜀兵を曹真の前に出した。
その蜀兵は、周りの者を退かせるようにと言った。
曹真は左右の者を退けると、その蜀兵は「私は姜維(きょうい)の従者です」と言い、姜維が書いた一書を差し出した。
その書には、郷里の老母が忘れられないとあり、蜀軍を討つ計があるので、成功すれば魏に仕えることができるようにしてほしいとあった。
曹真は姜維の策にのった。

曹真は費耀(ひよう)を呼び、姜維の策を打ち明けた。
その策とは、魏から蜀軍を攻めたあと、負けたふりをして逃げろと。そのとき、蜀陣の中から火の手をあげるので、それを合図に攻め返し、蜀軍を魏軍と姜維軍で挟み撃ちにするというものであった。

費耀は反対し、曹真が動くのは危険なため、費耀自身が姜維の策にのることとなった。

費耀の軍と蜀軍はぶつかり、数日間、一進一退を繰り返した。

四峡の谷に、騎馬武者にかこまれた四輪車が現れた。
費耀は馬をすすめて、諸葛亮の四輪車にむかうと、三面の山から蜀軍がなだれ降りてきた。
魏軍は、早くも予定の退却にかかった。

峡山(きょうざん)のあいだを、約三十里ほど退却すると、蜀の後陣から黒煙の立ち昇るのが見えた。
費耀は歓喜し、費耀軍五万の兵は向きを変え、雑兵には目もくれず、諸葛亮のみを追い求めた。
突き進んだ結果、谷口に行き当たったが、岩石や巨材が積んであり、封鎖されていた。
蜀軍の影も見えなくなっていた。
費耀は身震いを感じた。

そのとき、大木、大石、油柴(ゆしば)、硝薬(しょうやく)などが、左右の山から降ってきた。
馬も兵も押しつぶされた。
費耀は山間の細道を見つけ、走り逃げた。
道に松明(たいまつ)が投げ込まれ、炎は山の高さほどに燃え上がった。

費耀は炎に囲まれた。
覚悟をきめた費耀は、みずから首をはねた。

メモ

●撃攘(げきじょう)
(敵を)うちはらうこと。

●蜿蜒(えんえん)
うねり曲がって長く続くさま。

●拘泥(こうでい)
ほかに選びようもあるのに、一つの事にこだわること。

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