鵞毛の兵(がもうのへい) 三国志(八)図南の巻

・凌統と甘寧、生死の交わりをむすぶ

あらすじ

漢中を治めた曹操は、長年、南方を獲りたいと考えていた。赤壁の恨みを晴らすためである。漢中の守りは、張郃(ちょうこう)と夏侯淵(かこうえん)に任せ、呉を獲るために、曹操は南下して、呉の濡須(じゅしゅ)へ向かうことにした。江を下る魏軍の百帆の兵船と陸を行く千車万騎が、呉都秣陵(まつりょう)の西方にある濡須の堤(つつみ)へ迫った。そこには、魏軍を迎え撃つため、呉軍が待ち構えていた。魏軍の大軍が見え、先陣を争ったのは、宿怨ある甘寧(かんねい)と凌統(りょうとう)である。孫権は、第一陣に凌統を、第二陣に甘寧を指名し、孫権も、他の諸大将とともに、あとから進んだ。魏軍の先鋒は、泣く子も黙る張遼(ちょうりょう)である。功を焦った呉軍凌統は魏軍張遼にぶつかったが、途端に砕け散っていく様子を、本陣にいる孫権は見た。孫権は、呂蒙(りょもう)を向かわせ、凌統を救い出させた。呉軍は、遠征により疲労のある魏軍を狙ったのだが、魏軍は堅固であり、呉軍は歯が立たなかった。孫権は甘寧に屈強の兵百人を与えた。たった百人で曹操の本陣を脅かすといったからだ。

甘寧は夕方、勇士百人を自分の陣所に招いて、酒十樽、羊の肉五十斤(きん)を与えた。肉を喰らい、酒をあおった百名は、欲をみたした。そこで甘寧は「今夜この百人で、曹操の中軍へ斬込む。あとに思い残りのないように、もっと飲んで食え」と告げた。一同は酔いも醒め、うろたえた。甘寧は、剣を抜き、立ち上がった。命令に従わないものは斬るという意味である。一同は、甘寧に従うことを誓った。甘寧は、合印(あいじるし)として、白いアヒルの羽を一本ずつ渡し、兜(かぶと)の真向へ挿すようにと指示した。

夜になり、二更を過ぎるころ、甘寧の一隊は筏(いかだ)にのって水路を迂回し、堤にそって、野をよぎり、忍びに忍んで、ついに曹操の本陣のうしろへ出た。甘寧の合図とともに、銅鑼(どら)をたたき、声をあげながら、一斉に魏軍陣中へ入っていった。たちまち、諸所に火があがった。夜半であるため、周りは暗く、魏軍の兵は同士討ちばかりをしていた。甘寧は、思う存分、暴れ回ったあと、百人全員が引き返して行った。孫権は、甘寧に、刀百本、絹千匹を贈り、彼を賞した。甘寧はそれを百人に分け与えた。

夜が明けるとともに、先頭に張遼(ちょうりょう)、左右には李典と楽進の配置で、魏軍が呉の陣を攻めてきた。一方、呉軍凌統は、甘寧に負けじと、待ち構えていた。甘寧の昨夜の功を耳にしていたからだ。呉軍凌統は、攻めてくる魏軍に向かい、疾風のように斜行し、魏軍張遼らしき大将を斬りつけた。しかし、その大将は魏軍楽進と名乗った。呉軍凌統は、人違いかと、舌打ちをしたが、魏軍楽進を相手に、五十余合も戦った。曹操の御曹司曹丕は、呉軍凌統を狙って矢を放ったが、その矢は凌統の馬に当たり、凌統は落馬した。魏軍楽進は、地上に倒れている凌統に槍を向けた。その時、一本の矢が楽進の真眉間(まみけん)に当たり、鞍上(あんじょう)から転げ落ちた。地面に倒れている二人を、魏軍は楽進を、呉軍は凌統をそれぞれ助け出し、陣に退いた。

呉の陣に戻ってきた凌統は、孫権に自身の失態を詫びると、楽進に矢を射て、凌統を救ったのは、甘寧であることを、孫健は告げた。凌統は、甘寧の前に向かい、手を床について、涙した。以来ふたりは、生死の交わりをむすんだ。

次の日、魏軍は、前日の倍の勢いで、水陸から、呉陣を攻めてきた。対して呉軍は、濡須(じゅしゅ)に兵船の壁を作った。この日の戦いは、呉軍の優勢で進んで行った。曹操のいる中軍まで、迫る勢いの呉軍であった。しかし突然、大風が吹き起こり、波は荒れ、岸辺の砂や小石は舞い上がり、陽もまだ高いうちなのに、暗くなった。呉軍董襲(とうしゅう)の兵船は沈没し、そのほかの兵船は、帆を裂かれたり、岸にぶつかったりした。新手の魏軍が、呉軍徐盛の兵を包囲している。孫権から指揮をうけた陳武が救援に向かうと、魏の龐徳(ほうとく)が率いる一軍が、堤の蔭から現れ、陳武を襲った。敗色濃厚となった呉軍であったが、若い孫権は中軍を引いて、濡須の岸へ進軍した。そこには、魏軍張遼と徐晃が待ちかまえていた。

メモ

●さだめし
間違いなく。きっと。

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