魏から――晋まで(ぎから――しんまで) 三国志 篇外余録

あらすじ

諸葛亮が亡くなってから、魏は平和気分におおわれる。

大魏皇帝曹叡(そうえい)は、洛陽の大土木を命じ、人力と国費をかけて、庭園や別荘が造られる。

魏帝曹叡を諫める公卿(くげ)もいたが、魏帝曹叡は聞く耳をもたない。

蜀の延凞(えんき)十四年、魏の嘉平三年。
司馬懿は亡くなる。
司馬懿のあとは息子の司馬師が継ぐ。

司馬師が間もなくして亡くなり、弟司馬昭が継ぐ。
司馬昭は大魏大将軍となり、帝位にせまる勢威を示す。

司馬昭が亡くなると、子司馬炎(しばえん)が継ぐ。
司馬炎は元帝を退位させ、自ら皇帝となり、新国家を創立する。
魏は曹操以来、五世四十六年目で終わる。
蜀の滅亡後、三年目のことである。

このとき、呉の孫権は世を去っており、孫皓(そんこう)が継ぐ。

孫皓は悪政を行い、南方各地にて暴動のきざし起こる。

晋は呉を攻め、滅ぼす。
三国は晋一国となった。

メモ

●林泉(りんせん)
木立や泉水などのある庭園。

●歿(ぼつ)
亡くなる。

●間隙(かんげき)
すきま。

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