偽帝の末路(ぎていのまつろ) 臣道の巻

内容

西涼(せいりょう)太守(たいしゅ)の馬騰(ばとう)は義文の書に署名をしていたが、劉備が許都(きょと)を出たため、西涼(せいりょう)に帰ってしまった。

建安(けんあん)四年六月。劉備は徐州(じょしゅう)に着いた。

袁術(えんじゅつ)は淮南(わいなん)を出て河北(かほく)へ向かった。大規模な引っ越しである。

袁術(えんじゅつ)の一団は徐州(じょしゅう)の近くまで来た。
そこには劉備の軍が待ち構えていた。

袁術(えんじゅつ)軍からは紀霊(きれい)が、劉備軍からは張飛が討って出た。
両者は刃を十回ほど合わせのち、張飛が紀霊(きれい)を一突きにした。
袁術(えんじゅつ)軍は先鋒も二陣も破られたため、袁術(えんじゅつ)は逃げた。

袁術(えんじゅつ)は昼夜を問わず逃げ走り、江亭(こうてい)の地まで来たときには、味方は千人もいなかった。
時は大暑の六月。袁術の一団は、ついてこれない病人や負傷者を見捨てて進んだ。盗賊に襲われ、衣服をはぎ取られた。
十数日間、逃げ歩いているうちに、袁術(えんじゅつ)のそばには甥の袁胤(えんいん)しか残っていなかった。

袁術(えんじゅつ)は農家を見つけ、台所に入ると「水をくれ。蜜水(みつすい)はないか」と叫んだ。
「蜜水などあるものか。馬の尿でも飲むがいいさ」百姓は笑って答えた。
袁術(えんじゅつ)は現実を突きつけられ号泣した。血を吐き、命を落とした。

袁胤(えんいん)は袁術(えんじゅつ)の亡骸を埋め、盧江(ろこう)方面へ落ちて行ったが、途中、広陵(こうりょう)の徐璆(じょきゅう)に捕らえられた。
徐璆(じょきゅう)は曹操に文書で知らせ、袁胤(えんいん)が持っていた伝国の玉璽(ぎょくじ)も送った。

劉備は目的を果たしたので、曹操配下の朱霊(しゅれい)と露昭(ろしょう)を許都(きょと)へ返し、五万の兵は「境を守るため」と徐州(じょしゅう)に留めた。

朱霊(しゅれい)と露昭(ろしょう)は許都(きょと)へ戻り、曹操に報告をした。
「わしの許しなく、なぜ徐州(じょしゅう)に兵を残した」曹操は激怒し、二人の首を斬れと命じた。
「丞相(じょうしょう)は劉備を総大将に任命したため、二人は劉備の命令に従わざるをえなかったのです」荀彧(じゅんいく)は曹操を諫めた。

曹操は、徐州の城を守る車冑(しゃちゅう)へ劉備を除く策を送った。

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