呉の外交(ごのがいこう) 三国志 出師の巻

・孫権、呉王となる

あらすじ

張飛の首をとった范疆(はんきょう)、張達のふたりは、呉の都建業に逃げ、張飛の首を孫権に献じ、忠節を誓った。そして、蜀軍七十余万の兵が、呉に向かっていることを告げた。
孫権は驚き、即日、修臣を集めた。
諸葛瑾(しょかつきん)が前に出て、和睦の使いに名乗り出た。
周りの者は冷ややかな目をしていた。諸葛瑾が成功した使命はひとつもなかったからだ。
しかし孫権は諸葛瑾に和睦の使いを命じた。

章武元年の秋八月。蜀帝劉備は大軍をすすめて、白帝城を大本営とし、先陣は川口の辺りまで進出していた。
そこに、呉の使者諸葛瑾がやってきた。
諸葛瑾は劉備を説得し続けたが、劉備は目を閉じて、何も言わない。
諸葛瑾は続けた。「魏の策略におどらされてはいけません。呉との戦いは、大義を知らず、小義に逸(はや)る君だと、もの笑いになりますよ」
劉備は、眼をかっと開き、孫権に告げよと言った。「首を洗って待っていろ」

諸葛瑾の報告を受けた孫権は、大きな衝撃を受けた。そして今度は、中大夫趙咨(ちょうし)を魏へ向かわせた。
曹丕は、呉の使者趙咨に会った。
曹丕は、趙咨の弁舌に感心し、呉の援助を確約し、孫権に呉王の位を与えた。臣下の邢貞(けいてい)にその印綬をもたせて、呉の使者趙咨とともに呉へ向かわせた。

孫権は、魏の使者邢貞を礼儀を尽くして迎えた。魏の使者邢貞が帰国するときには、莫大な土産物を贈った。

メモ

●眷顧(けんこ)
特別に目をかけること。

●譎詐(きっさ)
いつわりあざむくこと。

関連記事

次の章「この一戦(このいっせん)」へ進む

前の章「雁のみだれ(かりのみだれ)」へ進む

トップページへ進む