軍師の鞭(ぐんしのむち) 孔明の巻

内容

劉備軍に敗れ、敗走していた曹操軍の呂曠(りょこう)と呂翔(りょしょう)は、待ち伏せしていた劉備軍の張飛と関羽に斬られた。

曹仁(そうじん)は激怒し、すぐに新野(しんや)へ攻め込もうとしたが、李典(りてん)は反対した。
「二心を抱いたな」曹仁に疑われると、李典は戦いに参加せざるを得なかった。

曹操軍兵二万五千は樊城(はんじょう)を出発し、白河に準備した兵船に乗り込み、新野へ向かった。
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曹操軍先鋒の李典の隊と劉備軍趙雲(ちょううん)の隊がぶつかった。
趙雲は李典の兵を斬り倒し、逃げる李典の兵が曹仁の中軍になだれ込み、大いに乱れた。

次の日。曹仁は八門金鎖(はちもんきんさ)の陣を敷き、李典の隊を後ろへ置いた。
単福(たんふく)は劉備と丘の上から曹操軍の陣形を見ていた。
趙雲に五百騎と策を与え、突撃させた。
曹操軍の陣形は、趙雲に突破され、総崩れとなった。
単福は劉備に合図をし、劉備軍は総攻撃にでた。
曹操軍は大敗した。

その日の夜。劉備軍に夜襲をしかける、と曹仁は言った。
李典は、夜襲で城を留守にするあいだに敵に奪われる、と反対した。しかし曹仁は夜襲を決行した。
曹操軍は劉備軍の陣営に入り込んだ瞬間、四方は炎に囲まれた。
北河の岸まで逃げた曹仁の前に、張飛が待ち構えていた。
曹仁は李典に救われ、向こう岸に渡った。

曹仁は樊城まで逃げ帰ると、樊城に関羽がいた。
門が開き、劉備軍が飛び出してきた。
曹仁は馬に鞭打ち、都へ逃げ帰った。

劉備は樊城へ入り、県令の劉泌(りゅうひつ)が出迎えた。
劉泌の邸で酒宴が開かれ、その席にひとりの美少年がいた。名を寇封(こうほう)といった。
寇封は劉備の養子となり、名を劉封(りゅうほう)と改めた。

「樊城は守るに適さない」単福は言った。
趙雲の手勢に樊城を守らせ、劉備は新野へ戻った。

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