内容
金褘(きんい)らは決行の日を正月十五日と決め、その日となった。
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王必(おうひつ)から酒宴に招かれていた金褘は、ひどく酔ったふりをして、酒宴から抜け出そうとする。
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酒宴はこれからだと、王必は金褘を席に戻す。
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酒宴の席に煙が流れ込み、火はすぐ裏と南門の傍らから燃えだしていた。
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王必は慌てて馬に乗り、南門へ向かう。
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反乱軍は西門と南門に分かれて攻め込む。
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反乱軍を率いる耿紀(こうき)の前に、馬に乗って南門へ向かう敵兵がいる。
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耿紀はその敵兵に矢を放つ。
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敵兵は肩に矢があたり、馬から転げ落ちる。
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耿紀はそのまま中へ突き進む。
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転げ落ちた兵は王必だった。
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王必は馬をひろい、燃えている南門の外から市街へ逃げる。
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郊外に駐屯している夏侯惇(かこうじゅん)へ急を告げに行くつもりだったが、王必は道を間違えて馳けまわるうちに、肩の矢傷が悪化し、目がかすんできた。
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この辺に金褘の邸があるため、王必は向かい、門を叩いたが、門番も奴僕(ぬぼく)もいない。
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奥のほうから出て来た誰かが、扉を内から開けようとして言った。「お帰りなさい。今すぐ開けます。王必をお討ちになりましたか」その声は金褘の妻だった。
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王必は慌てて駆け出し、曹休(そうきゅう)の邸へ向かい、詳細を話す。
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曹休は一族と郎党を率いて、禁門へ急いで向かう。市街で戦い、禁門で戦い、反乱兵を斬り、宮中を守った。
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都の空の赤さに気づいた夏侯惇(かこうじゅん)は、三万騎を率いて市街へ入る。
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禁中では曹休が軍馬を並べて守っている。
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韋晃(いこう)は計画どおり合流する場所で待っているが、金褘や耿紀は来ない。
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故吉平のふたりの息子、吉邈(きっぽう)と吉穆(きつぼく)は、夏侯惇の大軍とぶつかり、兄弟ともに斬られる。
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火もほとんど消え、陽が昇った頃、首謀者以下は捕らえられていた。
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この報告を聞いた曹操は、漢朝の旧臣と名のつく輩を鄴都(ぎょうと)へ送れ、と命じる。
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捕らえられた耿紀と韋晃だが、耿紀は首を斬られ、韋晃は自ら頭を大地へ叩きつけて命を落とす。
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御林軍の大将王必は、矢傷がもとで命を落とす。
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鄴都へ送られてきた百官たちを魏宮の庭園に立たせ、「先頃起こった乱のとき、火を防ぎに出た者は紅の旗の下に、門を閉じて出なかった者は白い旗の下に立て」と曹操は命じる。
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百官たちはひとりが動き出すと皆も動き出し、八割の者が紅の旗の下へ集まる。
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曹操は高台の上からその様子を見届けるや、「紅の旗の下に集まった輩は、異心ありの者だ。一人のこらず打ち首だ」と武将に命じる。紅の旗の下に集まった四百余名の官人たちは、曹操の顔色をうかがって火を防いだとしていたのである。
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白旗の下に立ったわずかな百官たちは、許都へ帰される。
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宮廷の人事について、大改革が行われる。鍾繇(しょうよう)は相国(しょうこく)に、華歆(かきん)は御史大夫(ぎょしたいふ)に、曹休は御林軍総督に任じられる。
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曹操は管輅(かんろ)の予言を信じたため、許都で起こった乱を最小にとどめることができ、管輅に感謝した。
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「褒美をやる。何なりと望め」曹操は管輅に言ったが、管輅は丁寧に断る。
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