破軍星(はぐんせい) 図南の巻

内容

七夕の日の日が暮れた頃。荊州(けいしゅう)城内の街々では、祭りがおこなわれていた。
城中でも酒宴をもうけ、諸葛亮(しょかつりょう)は諸大将を慰労していた。

夜も更けてきた頃。諸葛亮は夜空を眺めていると、大きな星が西の空へ飛び、砕けて消えた。
「ああ、破軍星」とつぶやき、杯を落した。
諸葛亮は凶報に備えて、諸大将へ遠くに出ることを禁じた。

それから七日後。関羽(かんう)の養子関平(かんぺい)が劉備(りゅうび)の使いとして荊州に帰ってきた。
関平は、軍師龐統(ほうとう)が戦死し、涪城(ふじょう)にこもっている主君劉備は敵に囲まれていることを諸葛亮に報告した。
諸葛亮は自身の代わりに関羽(かんう)と関平を荊州の留守に置き、荊州総大将の印綬を関羽に渡した。
関羽は「一国の大事をつかさどるうえは、たとえ命を落としても惜しみはしない」と言った。
命を軽んじた関羽に諸葛亮は不安を覚えたと思われる。
諸葛亮は関羽に「もし呉(ご)の孫権(そんけん)と、北の曹操(そうそう)とが、同時にこの荊州を攻めてきたときはどう防ぐか」と問うた。
「兵を二手にわけて、孫権、曹操ともに討ちます」
「それでは荊州が危ない。貴公に教えておく」
「ご教授ください」
「北ハ曹操ヲ拒(フセ)ギ、東ハ孫権ト和ス。お忘れあるな」
諸葛亮は、関羽の輔佐として文官には伊籍(いせき)、糜竺(びじく)、向朗(こうろう)、馬良(ばりょう)を、武将には関平、周倉(しゅうそう)、廖化(りょうか)、糜芳(びほう)を荊州に残した。
諸葛亮はわずか一万の兵を連れ、張飛を大将とし、趙雲も連れて、劉備のもとへ向かった。
途中、陸路と水路の道に軍を分けて進むことになり、陸路は張飛が、水路は諸葛亮と趙雲が進んだ。

張飛が率いる一万騎はやがて巴郡(はぐん)へ迫った。
巴城(はじょう)には蜀の老将厳顔(げんがん)がいた。
張飛は使いを出した。厳顔に城を出て降伏するようにと。
厳顔は使いの耳と鼻を切り落とし城外へつまみ出したため、張飛は激怒した。

張飛の部隊は城を攻め続けたが、城門は閉じられており、城は落ちない。
翌日も明け方から攻め始めた。
すると矢倉の上に老将厳顔が初めて姿をあらわし、張飛に向かって、一矢を放った。
張飛は馬のたてがみへ身を伏せたため、矢は張飛の甲のてっぺんを射た。
金属的な衝撃が頭のてっぺんから眼に走った張飛は、後陣へ隠れた。

巴城の一方にかなり高い丘陵があるため、張飛は声の大きな部下を選んで丘陵に登り、さまざまな悪口を城中へ叫んだ。
城の者は、誰ひとり出てこない。
老将厳顔は「まるで子供の遊び」と一笑した。

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