霹靂車(へきれきしゃ) 孔明の巻

内容

孫権は、河北(かほく)の袁紹(えんしょう)と絶縁することにした。
袁紹の使者陳震(ちんしん)は、軍事同盟締結のために呉に来ていたが、追い返された。

袁紹は激怒していた。使者は追い返され、孫権と曹操が連携したためだ。
曹操打倒のため、袁紹は大軍を官渡(かんと)へ向けた。
配下の田豊(でんほう)は、戦わずに防御が最善の策である、と袁紹に言ったため、獄中へ入れられた。

袁紹軍は陽武(ようぶ)まで進んだ。
沮授(そじゅ)は袁紹にこの戦いの不利さを説明したため、獄中へ入れられた。

総勢七十万の袁紹軍は官途に陣を敷き、曹操軍と対峙した。
曹操軍張遼(ちょうりょう)と袁紹軍張郃(ちょうこう)がぶつかるが、勝負はつかなかった。
曹操軍許褚(きょちょ)が出ると、袁紹軍高覧(こうらん)が出た。
袁紹軍の側面攻撃にでた曹操軍夏侯惇(かこうじゅん)と曹洪(そうこう)は、袁紹軍にその策を見破られており、惨敗した。
この日の戦いは袁紹軍の大勝であった。

曹操は官渡(かんと)の流れを渡り、河の中に逆茂木(さかもぎ)を張り巡らして守りを固めた。

数日後、官途の北岸に人工の山ができ、十日経つと丘になり、その上にいくつもの高やぐらが築かれた。
袁紹軍は、弩弓手(どきゅうしゅ)を高やぐらに配置し、そこから矢石を撃ってきた。
曹操軍は山麓の陰へ退却したが、のちに、発石車(はっせきしゃ)で対抗し、人口の丘に建つ高やぐらを撃破した。発石車はのちに霹靂車(へきれきしゃ)と呼ばれた。

袁紹軍は二万の掘子軍(くっしぐん)を用いて、地の底を掘り進めた。地下から曹操軍の陣内に侵入するためだ。
しかし曹操軍は陣地の前に濠を掘って防御した。

戦いは長期戦となり、兵糧の問題が生じてきた。

曹操軍が捕らえたひとりの捕虜から、兵糧が袁紹軍の前線へ運ばれていることを聞き、曹操は徐晃(じょこう)に襲わせた。
徐晃は敵の兵糧を焼き払った。

袁紹は兵糧を貯えている烏巣(うそう)の地を敵から守るため、淳于瓊(じゅんうけい)を向かわせた。淳于瓊は大酒飲みであった。

袁紹配下の許攸(きょゆう)は怪しい男を捕らえ、厳しく追及すると、曹操から荀彧へあてた書簡が出てきた。その内容は、兵糧は底をつく。迅速な手配を求める、とあった。

許攸は袁紹に報告をした。そして、騎馬五千をお与えくだされば、許都を攻め入ります、と言った。
袁紹は許攸の申し出を認めなかった。許攸と曹操とは幼馴染であったため、危険視されていたのである。

その日の夜。許攸は五、六人の手兵とともに、官渡の浅瀬を渡り、曹操の陣地へ駆けこんだ。

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