内容
劉備が袁紹(えんしょう)のもとにいることが、曹操の耳にも入った。
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数日後。曹操配下の張遼(ちょうりょう)は関羽を訪ね、関羽の本心を探り、曹操のもとに戻った。
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「関羽は都を去って劉備のもとへ行く決心です」張遼は曹操に報告した。
曹操は関羽を留めておく方法を思いついた。
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ある夜。関羽はある男から書簡を渡された。それは劉備の筆跡であった。
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次の日。書簡を関羽に渡した男が現れ、関羽の返事を求めた。
関羽は、曹操に挨拶をしてから劉備のもとへ向かうと答えた。
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次の日。関羽は曹操に会うために出て行くと、府門の柱に、謹謝訪客叩門(つつしんでほうきゃくのこうもんをしゃす)と書かれた避客牌(ひかくはい)がかかっていた。
次の日も、次の日も、関羽は曹操を訪ねたが、門は閉まっていた。
関羽は邸に戻ると、ここを去る準備をするようにと従者に命じた。
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関羽は、その後も七、八日間、曹操を訪ねたが、門は閉まっていた。
関羽は張遼の邸を訪ねてみたが、病気と称して関羽の前に現れなかった。
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その夜。関羽は決心した。
寿亭侯(じゅていこう)の印としたためた書状、曹操から贈られた宝物のすべてを蔵の中に置いた。
院内をすみずみまで掃除をした。
真夜中となり、関羽は二夫人と二十名の従者とともに出発した。
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北の城門にくると、番兵たちは関羽らの前に立ちふさがった。
「御車に少しでも触れれば、その首が飛んでゆくぞ」
関羽の言葉に、番兵たちは逃げ散った。
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二夫人が乗った御車とそれを守る従者を先に行かせた関羽は、後ろからただひとり進んでいった。
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