内容
出撃せずに堅く守るがよいという張郃(ちょうこう)に、夏侯淵(かこうえん)は聞く耳を持たない。
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先手を志願した夏侯尚(かこうしょう)は三千余騎を率いて山を下って行った。
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その頃、黄忠(こうちゅう)は定軍山(ていぐんざん)を何度となく攻めるが、魏(ぎ)軍の守りが固いため、山麓に陣を敷いて随所に偵察兵を置く。
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偵察兵から、山上より魏兵が下ってきたとの報告が入る。
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黄忠みずから出陣しようとすると、大将陳式(ちんしき)が「我は背後の細道より山上に向うので、両方より挟みうちにしましょう」と言った。
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山の後ろに回って、陳式は夏侯尚を攻め込むと、夏侯尚は夏侯淵の策のとおりにわざと負け、逃げ上る。
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陳式は逃さじと追いかけると、夏侯淵があらわれて、陳式は生捕られ、部下も魏軍に投降。
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黄忠は法正の策に従って、陣屋をつくり、数日そこに駐屯しては、また進んで陣屋を作りを繰り返し、山麓に近づいていった。
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夏侯淵は蜀(しょく)軍が接近してきているのを知り、出撃準備を進める。
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張郃は黄忠の計であると夏侯淵を引留めるが、夏侯淵の命により夏侯尚は数千の兵を引きつれ、夕闇をついて黄忠の陣を攻める。
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夏侯尚は黄忠に生捕りにされる。
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翌日、黄忠と夏侯淵は山間(やまあい)の広き場所に陣を張り、黄忠と夏侯淵は馬にまたがって出合い、陳式と夏侯尚を交換。
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お互いに別れて自陣に引上げる途中、一本の矢が夏侯尚の背にあたって地上に倒れる。
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その矢は黄忠が放った矢である。
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夏侯淵は激怒し、黄忠めがけて馬を飛ばし、討ってかかる。
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十余合ほど戦ううちに、魏の陣から退陣の鐘が鳴る。
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黄忠は魏軍へ攻め込み、魏軍は敗れる。
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「何で鐘を鳴らしたのだ」本陣に辛うじて戻った夏侯淵は激怒。
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四方の山の間より、蜀の旗が無数に現れたため鐘を鳴らしたという。
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何も言えなくなった夏侯淵は、それからというもの、固く守って外に出ようとしなかった。
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黄忠と法正が地形を調べていると「あの山を獲れば、定軍山の敵陣が一望できる」と法正は言う。
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山の頂上付近には魏軍の兵が守っている。
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その日の夜、黄忠は兵を率いて、この山に攻めのぼる。
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この山を数百の兵で守る魏軍副将杜襲(としゅう)は、突如蜀軍が攻めてきたと知り、戦うことなく逃亡。
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黄忠は定軍山の敵陣を観察し、報告を受けた法正は策を立てた。
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山を捨てて逃げた杜襲は、蜀軍に山を獲られたことを夏侯淵に報告。
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夏侯淵はすぐに出撃の用意を命じる。
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張郃はこれを諫め、出撃してはならないと言った。
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夏侯淵は張郃の諫めを無視し、半数の兵を自ら率いて黄忠の陣する山に向かう。
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山麓に着いた夏侯淵は、山上にいる蜀軍に罵声浴びせて挑発するが、出撃して来る気配がない。
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魏軍の兵は疲労が著しいのか、馬上で居眠りなどしている様子。
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この様子を山上から見ていた法正は、白旗をもって合図し、待機していた黄忠の部隊は山上より一気に駆けおりる。
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魏軍の兵は乱れ、黄忠は夏侯淵を真二つに斬り落とす。
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黄忠は定軍山に一気に攻めあがる。
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張郃は迎え撃つが、支えきれずに本陣に戻ろうとすると、山の傍らからは趙雲の部隊が攻めて来る。
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逃げて来た杜襲が張郃に、定軍山の本陣は蜀軍大将劉封と孟達に奪われたと報告。
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張郃は杜襲を伴い、漢水へ逃げる。
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夏侯淵が討たれたことを知った曹操は、大いに泣いた。
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この戦いの初めに管輅(かんろ)が占ったことは、すべて当たっていた。
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曹操は管輅を呼び寄せようとしたが、どこへ行ったのか、わからなかった。
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