内容
諸葛亮(しょかつりょう)の指示を受けた劉封(りゅうほう)と孟達(もうたつ)は、黄忠(こうちゅう)と趙雲(ちょううん)をたすけ、魏軍に損害を与えた。
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曹操(そうそう)は、予想外な損失に、遠く南鄭(なんてい)まで退陣し、軍の増強を急いだ。
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漢水の岸に陣を敷くのは、徐晃(じょこう)と王平(おうへい)。徐晃は王平の意見を聞かず、漢水の浮橋を渡り、蜀の陣に攻撃をしかけた。
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夕闇が迫る頃、漢水の浮橋が燃えており、徐晃は、趙雲と黄忠の部隊に囲まれていた。
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徐晃は、漢水を渡り、なんとか自陣に逃げ帰ることができた。王平を見つけるなり、「浮橋が焼かれるのを黙って見ていたのか」と罵倒した。
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その日の夜、王平は自分の陣地に火を放ち、部下と共に蜀へ投降。
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曹操は漢水を前面に陣を敷く。
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次の日の真夜中、一発の石砲がとどろき、銅鑼(どら)・鼓・叫び声が起こる。
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魏の陣営は大騒動となり、四方の闇を見まわすが、何もない。
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あらためて魏兵が眠りにつくと、またまた、爆音や鬨(とき)の声がした。
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三日のあいだ、毎晩、同じことが起こり、魏兵はみな寝不足になる。
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魏兵の顔を見た曹操は、三十里ほど退いて広野の中に陣を敷く。
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夜ごとの砲声や銅鑼は、上流の盆地に潜ませていた趙雲の仕業だった。
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四日目の夜が明け、蜀軍は河を渡り、漢水をうしろにして軍を配置。
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「明日、五界山(ごかいざん)の前で会おう」蜀軍の覚悟を感じた曹操は劉備へ決戦状を送る。
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次の日、蜀軍と魏軍はぶつかった。
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午(うま)の刻を過ぎるまで、魏は圧倒的に勝っており、蜀の兵は逃げだしていた。
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逃げる蜀兵を追うのを曹操は止めた。蜀兵の敗走に何か策があるとみたのである。
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魏軍が退くと、蜀軍は逃げから攻めに転じた。
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魏が治めていた南鄭(なんてい)から褒州(ほうしゅう)の地は蜀の手に渡り、魏軍は陽平関(ようへいかん)まで追われた。
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「危地にある兵粮全部を、後方の安全な地点へ移してこい」曹操は許褚(きょちょ)に命じる。
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兵糧を移動する許褚の部隊は、夜中頃、褒州の難所へかかる。
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谷間から蜀兵が許褚の部隊へ突進。頭の上から岩や石ころが落ちてきた。
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兵糧を運ぶ許褚の部隊は、逃げていくうちに谷間のふところへ出る。
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そこには張飛(ちょうひ)が待っている。
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張飛は大矛(おおほこ)を伸ばして許褚の肩先を突く。
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許褚は馬からころげ落ちる。
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張飛がとどめを刺そうとしたとき、張飛の馬に大きな石がひとつあたり、馬がはねる。
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そのあいだに許褚の部下たちが許褚を囲んで守り、逃げた。
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兵糧の大部分は張飛に奪われてる。
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陽平関へ逃げもどると、陽平関は炎につつまれている。
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「斜谷(やこく)に向かって退却された」と聞き、許褚は曹操を追いかける。
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曹操は斜谷に近づくと、むこうから大きな馬煙が見え、青ざめる。
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むこうからくる一軍は、次男曹彰(そうしょう)が率いる五万の味方だった。
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曹彰は夷(えびす)の反乱を治めに出ていたが、漢水方面の大戦が不利と聞き、加勢に向ってきたのだった。
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曹操は馬上からわが子の手を握り、その手を離さなかった。
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