陣前公用の美酒(じんぜんこうようのびしゅ) 三国志(八)図南の巻

・張飛、張郃軍の前で酒宴を開く

あらすじ

漢中からきた魏軍は、総大将に曹洪、その下に張郃(ちょうこう)をつけ、蜀との境で、蜀軍の侵入を防いでいた。魏軍の兵の数は五万である。蜀軍は、下弁方面から馬超が、巴西からは張飛が、漢中をうかがっていた。最初にぶつかったのは、馬超の部下呉蘭(ごらん)・任双(じんそう)の兵と、魏軍である。馬超の部下任双は討たれてしまい、呉蘭は敗走する結果となった。馬超は、呉蘭の軽はずみな行動を大いに叱り、以後は、魏軍が攻めてきても、動かなかった。動かない馬超に謀略を感じとった曹洪は、大事をとって、南鄭(なんてい)まで兵を引いた。張郃(ちょうこう)は曹洪のこの作戦に対して、理由を問うた。曹洪は、このたびの戦場でひとりの大将を失う、と管輅(かんろ)が預言したから、慎重に行動しているのだと言う。張郃は一笑し、兵三万を与えてくだされば、巴蜀(はしょく)にいる張飛の軍を、一叩きすると言った。しかし曹洪は、張郃の申し出を許さなかった。張郃は、張飛を生捕ってこなければ、軍法にもとづいて罰を受けると言い、軍誓状(ぐんせいじょう)を書いたため、ついに曹洪は許した。

張郃は、三万の兵を率いて、巴西(はせい)へ向った。巴西から閬中(ろうちゅう)のあたりは、山みな険しく、谷は深い。張郃(ちょうこう)は、三か所に、陣地を置き、兵力の半数をそこに置いた。あとの一万五千の兵は、張郃みずから率いて、蜀軍張飛のいる巴西へよせた。張飛は、魏軍張郃(ちょうこう)が巴西に迫っていると知ると、張飛は、雷同とともに、それぞれ五千の兵を率いて、巴西を出た。張飛と雷同の二隊と魏軍張郃の隊は、閬中(ろうちゅう)の北三十里の山間で、ぶつかった。張飛は、渓谷や山間にいる魏軍の兵を蹴ちらし始めた。周りを見渡すと、後方の山にも、はるか下のほうにも、蜀の旗が見える。張飛が張郃に追ってきたので、「ひとまず退け」と張郃は命じた。あとでわかったことだが、後方の山などにあった蜀の旗は、みな擬兵(ぎへい)であり、兵はおらず、旗ばかりが立っていた。

張郃は、やっとたどりついた宕渠寨(とうきょさい)の中に味方を収めると、岩穴の門をふさいで、閉じこもった。張飛は、向こう山に陣を張り、臨戦態勢をとった。ところが、張郃の兵たちは、笛を吹いたり、鼓を打ったり、酒をのんだりしている。その様子が、張飛のいる山陣から見えた。張飛は、いらついた顔をし、雷同に、張郃をからかってこいと言った。雷同は、兵を引き連れ、向こうの山の下へ迫った。そして、張郃と魏兵を大声でののしった。しかし張郃のいる宕渠寨は動かない。次の日も、雷同は、向うの山の下へ行き、大声でののしった。しかし宕渠寨は動かない。とうとう雷同は怒りだし、攻撃を仕掛けた。柵門を破り、山の肌を登って行くと、巨木、大岩石、矢、石鉄砲が、雨のように降ってきた。蜀軍の死者は数百人にのぼった。蜀軍と魏軍はふたたび、睨み合いに入った。

張飛は、俺しかいないと、向こうの山の下へ部下を率いて、大声で張郃を罵倒した。しかし張郃は動かない。張飛は、背中を丸めて、山陣に戻った。

数日後、今度は、張郃(ちょうこう)の陣から、張飛のいる山陣に向って、罵声が飛んできた。雷同は顔を真っ赤にして、歯ぎしりした。そんな雷同を、「いま動くと、敵の術中にはまる。しばらく待て」と、張飛はおさえた。このような状態が五十日余り続いたので、張飛の部下たちの士気は下がってきた。張飛は一策を考えて、山を降りて張郃のいる宕渠寨の前に陣を構えた。そこに酒を運ばせ、部下とともに酒宴を設け、山上に向ってののしった。酔っていい気持ちになった部下たちは、大いに声を張り上げて、ののしりつづけた。だが、張郃は動かなかった。

成都にいる劉備は、戦況を知るために、張飛のもとへ使者を送った。やがて、戻ってきた使者は、「張飛の軍は、敵前で毎日酒を飲んで、敵をののしっています」と報告した。劉備は驚いて、諸葛亮をよんだ。詳細を聞いた諸葛亮は笑って、成都の美酒を五十樽ほど、張飛に送り届けるのがよろしかろう、といった。劉備は、張飛が酒で数々の失敗をしていることを知っているので、大反対をした。しかし諸葛亮は、張飛の策を信じましょう、と言った。劉備は、どうしても不安なので、魏延(ぎえん)を派遣して、張飛を助けることにした。諸葛亮は劉備の命をうけて、魏延を呼び、宕渠(とうきょ)の陣にいる張飛のもとへ成都の名酒五十樽を届けよと命じた。

名酒五十樽が張飛の陣に着き、張飛は、魏延、雷同とともに、大酒宴をはじめた。山間に笑い声がこだましている。山上から大酒宴の様子を見た張郃は、張飛軍の士気の緩みを感じたのか、夜になり、兵を率いて、山を降り、張飛の陣に近づいた。張飛はまだ酒を飲んでいるようだ。「突っこめ!」と、張郃の命とともに、銅鑼(どら)を鳴らして、張飛の陣に突っ込んだ。張郃は、一直線に張飛に向かい、馬上から張飛めがけて、槍を突き刺した。しかし、その手応えから、それは張飛ではなく、草で作った人形だとわかった。その時、鉄砲が響き、張飛を先頭にして、一群の兵が道をふさいでいる。張飛は、張郃へ斬りかかってきた。討ち合うこと四、五十合。その間に、雷同、魏延の軍は、魏軍の兵を追いまくっていた。張飛と討ち合いながらも、味方が崩れていくのを見た張郃は、一瞬の隙をねらって、逃げた。張飛は全軍に追撃を号令した。

メモ

●嘯く(うそぶく)
豪語する。

●軽忽(けいこつ)
軽はずみなこと。

●寨(さい)
とりで。小さな城。

●切歯(せっぱ)
はぎしり。転じて、きわめて無念に思うこと。

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