内容
漢中(かんちゅう)からきた魏(ぎ)軍は総大将に曹洪(そうこう)、その下に張郃(ちょうこう)をつけ、蜀(しょく)との境で、蜀軍の侵入を防ぐ。兵の数は五万。
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蜀軍は下弁(かべん)方面から馬超(ばちょう)が、巴西(はせい)からは張飛(ちょうひ)が、漢中をうかがう。
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馬超の部下呉蘭(ごらん)・任双(じんそう)の部隊と魏軍がぶつかる。
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任双は討たれ、呉蘭は敗走。
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馬超は呉蘭の行動を大いに叱り、以後は魏軍が攻めてきても動かなかった。
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曹洪は南鄭(なんてい)まで兵を退く。
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張郃(ちょうこう)は曹洪の指揮に理由を問うと、「このたびの戦場でひとりの大将を失う」と管輅(かんろ)が預言したため、慎重に行動していると返答。
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張郃は一笑し、兵三万を与えてくだされば、巴蜀(はしょく)にいる張飛の軍を一叩きすると言う。
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曹洪は張郃の申し出を許さなかったが、「張飛を生捕ってこなければ、軍法にもとづいて罰を受ける」と軍誓状(ぐんせいじょう)を書いたため、曹洪は認める。
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張郃は三万の兵を率いて巴西へ向かう。
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巴西から閬中(ろうちゅう)のあたりは山みな険しく、谷は深い。張郃(ちょうこう)は三か所に陣地を置き、兵力の半数をそこに置く。
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残り一万五千の兵は、張郃みずから率いて、蜀軍張飛のいる巴西へよせる。
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魏軍張郃が巴西に迫っていると知ると、張飛は雷同(らいどう)とともにそれぞれ五千の兵を率いて巴西を出る。
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張飛・雷同の二隊と魏軍張郃の隊は、閬中(ろうちゅう)の北三十里の山間でぶつかる。
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渓谷や山間にいる魏軍の兵を、張飛は蹴ちらし始める。後方の山にも、はるか下のほうにも蜀の旗が見える。
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張飛が追ってきたので、張郃は「ひとまず退け」と命じる。
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あとでわかったことだが、後方の山にあった蜀の旗はみな擬兵(ぎへい)であり、兵はおらず旗ばかりが立っていた。
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張郃は宕渠寨(とうきょさい)の中に味方を収めると、岩穴の門をふさぎ、閉じこもる。
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張飛は向こう山に陣を張り、臨戦態勢をとる。
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張郃の兵たちが笛を吹き、鼓を打ち、酒を飲む様子が張飛のいる山陣から見えた。
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張飛は雷同に「張郃をからかってこい」と言った。
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雷同は兵を引き連れ、張郃と魏兵を大声でののしる。
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張郃のいる宕渠寨は動かない。次の日も動かない。
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雷同は張郃に宕渠寨に攻撃を仕掛けると、巨木・大岩石・矢・石鉄砲が雨のように降った。
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蜀軍の死者は数百人にのぼった。
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蜀軍と魏軍はふたたび睨み合いに入る。
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数日後、張郃(ちょうこう)の陣から、張飛のいる山陣に向って、罵声が飛んだ。
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顔を真っ赤にして歯ぎしりする雷同を、張飛は「いま動くと、敵の術中にはまる。しばらく待て」とおさえる。
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このような状態が五十日余り続いたので、張飛の部下たちの士気は下がった。
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張飛は山を降りて張郃のいる宕渠寨の前に陣を構え、部下とともに酒宴を設け、山上に向ってののしった。
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張郃は動かない。
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成都にいる劉備(りゅうび)は戦況を知るために張飛のもとへ使者を送る。
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戻ってきた使者は「張飛の軍は敵前で毎日酒を飲んで、敵をののしっています」と報告。
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劉備に呼ばれた諸葛亮(しょかつりょう)は詳細を聞いて、「成都の美酒を五十樽ほど張飛に送り届けるのがよろしかろう」と言う。
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劉備は大反対するが、諸葛亮は「張飛の策を信じましょう」と言う。
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諸葛亮は劉備の意見を入れ、魏延(ぎえん)に酒の輸送を命じる.
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名酒五十樽が張飛の陣に着き、張飛は魏延・雷同とともに大酒宴をはじめる。
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山上から大酒宴の様子を見た張郃は、夜になり、兵を率いて山を降り、張飛の陣に近づいた。
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張飛はまだ酒を飲んでいる。
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「突っこめ!」と張郃の命とともに、銅鑼(どら)を鳴らして張飛の陣に突入。
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張郃は一直線に張飛に向かい、馬上から張飛めがけて槍を突き刺すが、それは草人形だった。
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鉄砲が響き、張飛を先頭に一群の兵が道をふさぐ。
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張飛は張郃へ斬りかかる。討ち合うこと四、五十合。
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雷同・魏延の軍は魏軍の兵を追いまくる。
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張飛と討ち合いながらも味方が崩れていくのを見た張郃は、一瞬の隙をねらって逃げる。
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張飛は全軍に追撃を号令。
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