あらまし
私(吉川英治)は、簡訳や抄略をあえてしなかった。劉備・曹操・関羽・張飛そのほかの主要人物などには、自分の解釈や創意をも加えて書いた。
[ここで扱っている]三国志は、正史ではない。けれど、後漢の第十二代霊帝の代(西暦百六十八年頃)から、武帝が呉を亡ぼす太康元年までのおよそ百十二年間の治乱が書かれている。
原本は「通俗三国志」「三国志演義」その他数種あるが、そのいずれの直訳にもよらないで、わたくし流に書いたものである。
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あらまし
私(吉川英治)は、簡訳や抄略をあえてしなかった。劉備・曹操・関羽・張飛そのほかの主要人物などには、自分の解釈や創意をも加えて書いた。
[ここで扱っている]三国志は、正史ではない。けれど、後漢の第十二代霊帝の代(西暦百六十八年頃)から、武帝が呉を亡ぼす太康元年までのおよそ百十二年間の治乱が書かれている。
原本は「通俗三国志」「三国志演義」その他数種あるが、そのいずれの直訳にもよらないで、わたくし流に書いたものである。
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