漢中併呑(かんちゅうへいどん) 図南の巻

内容

曹操(そうそう)は、曹仁(そうじん)・夏侯惇(かこうじゅん)・賈詡(かく)を呼び、蜀(しょく)を獲った劉備(りゅうび)対策を協議。まずは漢中(かんちゅう)の張魯(ちょうろ)を討つことに決まる。

漢中は張衛(ちょうえい)を大将にし、楊昂(ようこう)・楊任(ようじん)が陽平関(ようへいかん)の守りへ向かう。

魏(ぎ)の先鋒隊は、陽平関から十五里ほどのところに陣地を築く。

陽平関をめぐる魏軍と漢中軍との最初の戦いでは、夏侯淵(かこうえん)と張郃(ちょうこう)が率いる魏軍が大敗。

曹操は許褚(きょちょ)と徐晃(じょこう)を従えて一高地へ登り、陽平関の漢中軍を偵察。

その時、背後の一山から雨のように矢が飛んでくる。漢中軍の楊昂と楊任の旗じるしが見える。

曹操は急いで逃げ帰る。

この日から三日間で魏軍は莫大な兵を失う。

曹操は陣を七十里ほど退く。そして五十余日が経つ。

一夜のうちに魏軍は消え、許都へ戻る。

楊昂は軍馬を率いて、魏軍の追撃。

その日は、濃霧がたちこめている。

楊昂の軍勢が出た日の夕方、陽平関の下で「開門っ」と一軍が叫ぶため、味方が帰ってきたものと門を開く、

一軍は魏軍夏侯淵率いる三千の兵であり、陽平関へなだれ込み、八方に火をかけ、占拠。

総司令の張衛(ちょうえい)は南鄭関(なんていかん)へ逃げる。

魏軍を追撃するために出ていた楊昂は、後方の火の手に驚き、引き返す。

途中、許褚の軍が待ち構えており、楊昂の軍は粉砕され、楊昂は命を落とす。

残る楊任も張衛のあとを追い、南鄭関へ逃げる。

漢中の張魯は「退く者は首を斬る」と督戦令を出す。

楊任は陽平関へ戦いに出たが、途中、夏侯淵の部隊に遭遇し、命を落とす。

魏軍は陽平関を落とし、南鄭関まで迫る。

龐徳(ほうとく)は兵一万余騎を率いて、魏軍のいる前線へ向かう。

「龐徳は手捕りにして、魏の味方にせよ」曹操は全軍の諸将へ命じる。

魏軍は龐徳の前に出て、接戦しては退いて新手と代わるを繰り返したが、龐徳は疲れない。

賈詡(かく)は一計を曹操に提案。

次の日、魏軍は龐徳との戦に崩れ、十数里退く。

その日の夜半。龐徳が占拠した魏の陣屋に、魏軍が四方から攻めてくる。

龐徳は南鄭城内へ引揚げる。

魏軍が攻めて来る前、龐徳は占拠した魏の陣屋にたくさんな兵糧や軍需品が残っていたため、兵にそれらを南鄭の城内へ運ばせていた。

兵糧を運ぶ兵の中に魏の間諜が変装して混ざり、南鄭の城内へ潜入していた。

魏の間諜は楊松(ようしょう)の邸へ訪ね、「てまえは、魏公曹操の腹心の者です」と身分を明かし、黄金の胸当てと曹操直筆の書簡を取りだして、楊松へ渡す。

曹操の文には、張魯を降伏させれば、特別な爵位を与えるとある。

楊松はすぐに張魯のもとへ向かい、「龐徳は魏の陣屋を占領しておきながら、戦わずに魏に明け渡しております。今度は南鄭城を曹操に与えようとしているのかもしれません」と言う。

張魯はすぐに龐徳を呼び返す。

「裏切り者龐徳の首を斬れ」張魯は命じる。

かたわらにいた閻圃(えんほ)が慌てて張魯を諫め、張魯は前言を撤回。「魏軍を倒さなければ、軍律に照らして首を斬る」と言う。

龐徳はひとりで魏軍に入り、曹操へ向かい馬を走らせる。

丘のふもとに仕掛けていた落とし穴に、龐徳は馬とともに落下。

龐徳は降伏し、曹操の一臣となる。

魏軍は南鄭を落城し、漢中市街を包囲。

張魯は城内の財宝倉庫に封を施し、その夜二更の頃、一族をつれて南門から巴中(はちゅう)へ逃げる。

曹操は張魯が降参するならば、一族は保護してやると巴中へ使者を出す。

魏軍が巴中へ進軍すると、張魯は楊松とともに城を出て曹操に降伏。

曹操は張魯を鎮南(ちんなん)将軍に封じ、楊松を除く旧臣のなかから五人を列侯に加える。

漢中平定の祝賀の日、街の辻で楊松の首は斬られる。

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