笠(かさ) 三国志(九)出師の巻

・呉、荊州を獲る

あらすじ

荊州の本城は呉軍に簡単に落ちた。
原因はふたつある。
ひとつは、陸口の守りが呂蒙から陸遜(りくそん)に代わった。
そこで荊州の守りは容易だと考えた関羽は、魏の曹仁が籠る樊城(はんじょう)攻略に兵力を集中させたことだ。
もうひとつは、城の留守を預かっていた潘濬(はんしゅん)と公安地方を守る傅士仁(ふしじん)が凡人すぎた。
潘濬と傅士仁は、樊城へ出陣する前に、ある過ちを犯したため、出征軍から外れた。
留守にまわされることは、軍罰を受けることよりも不名誉とされており、二人は関羽を逆恨みし、内政も軍事も怠っていたことだ。

呉軍大都督呂蒙(りょもう)は、荊州占領後、すぐに立札を立てた。
人を殺す者、物を盗む者、流言を放つ者、斬罪に処す、というものである。

呂蒙は日々、荊州の町を巡視していたが、この日は途中から雨が降ってきた。
あるひとりの兵が、百姓のかぶる笠を兜(かぶと)の上にかざしながら、走っている。
その兵を捕らえてみると、呂蒙も知る同郷の男である。
呂蒙は、百姓の笠を盗むという法を破ったため、首をはねると告げた。
その兵は泣き叫び、出来心だと訴えたが、呂蒙は顔を横に振った。

江上で待っていた呉侯孫権は荊州城に入ると、すぐに降参した潘濬と、獄中にいた魏の于禁(うきん)を呉軍に加えた。

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