内容
荊州(けいしゅう)本城は呉(ご)軍に落ちた。原因は、関羽が凡将である潘濬(はんしゅん)と傅士仁(ふしじん)を荊州の守りにつかせたのが原因である。
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呉軍大都督呂蒙(りょもう)は、荊州占領後、すぐに立札を立てる。「人を殺す者、物を盗む者、流言を放つ者、斬罪に処す」とある。
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呂蒙は日々、荊州の町を巡視していたが、この日は途中から雨が降ってきた。
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あるひとりの兵が、百姓のかぶる笠を兜(かぶと)の上にかざしながら走っている。
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その兵を捕らえてみると、呂蒙も知る同郷の男である。
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呂蒙は百姓の笠を盗むという法を破ったため、首をはねると告げる。
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その兵は泣き叫び、出来心だと訴えるが、呂蒙は顔を横に振る。
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江上で待っていた呉侯孫権(そんけん)は荊州城に入ると、すぐに降参した潘濬と、獄中にいた魏の于禁(うきん)を呉軍に加えた。
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