鶏家全慶(けいかぜんけい) 三国志 五丈原の巻

・追放した司馬懿を呼び戻す

あらすじ

渭水(いすい)からの早馬が魏軍の敗北を知らせた。

叡帝は、宛城(えんじょう)で閑居している司馬懿(しばい)を平西(へいせい)都督に任じ、呼び戻した。

祁山(きざん)に陣を敷いている諸葛亮のもとに、李厳(りげん)の子李豊(りほう)がやってきて、報告した。
孟達は、自身が蜀に戻ることできるのであれば、蜀軍が長安を攻めるのに合わせ、上庸(じょうよう)と金城の太守と協力して洛陽を攻めると言っているというのだ。
諸葛亮は喜び、李豊と幕将たちとともに酒宴を催していた。

そこに早馬があり、閑居中の司馬懿が平西都督となるようですと知らせた。
諸葛亮は、すぐに孟達への書簡をしたため、早馬に渡した。

諸葛亮からの書簡を受け取った孟達は、蜀に戻れると喜んだ。
孟達は返書を書き、早馬に渡した。

諸葛亮は、返書を読み、落胆した。
返書には、司馬懿を警戒されているようだが、司馬懿は洛陽に寄り、任官式を終えた後に攻めに来るので、一か月の猶予がある。その間に守備は充分に整えられるので心配ないとあった。
しかし諸葛亮は、司馬懿は、洛陽には寄らず、直接孟達のもとへ向かうであろうと言った。
諸葛亮は、すぐに戒告の書を書き、早馬を飛ばした。

一方、司馬懿のもとを勅使が訪れた。
司馬懿は、一族、郎党を呼び、兵を募集し、すぐに行軍を開始した。
なぜ急いでいるのか。
新城の孟達に謀反の動きありと、金城の太守申儀(しんぎ)の一家臣が知らせにきたからである。
これが実行されれば、魏は崩壊する。
それゆえ、司馬懿は急いでいるのである。
当然、洛陽へは寄らない。

メモ

●出廬(しゅつろ)
隠遁(いんとん)していた人が、再び世間に出て活躍すること。

●刮目(かつもく)
目をこすってよく見ること。

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