内容
渭水(いすい)からの早馬は魏(ぎ)軍の敗北を洛陽(らくよう)へ告げる。
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叡帝(えいてい)は宛城(えんじょう)で閑居している司馬懿(しばい)を平西(へいせい)都督に任じて呼び戻す。
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祁山(きざん)に陣を敷く諸葛亮(しょかつりょう)のもとに、李厳(りげん)の子李豊(りほう)がやってきた。
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李豊は諸葛亮に伝える。「父の李厳(りげん)が孟達(もうたつ)と会い、孟達が言うには、蜀に戻ることできるのであれば、蜀軍が長安(ちょうあん)を攻めるとき、上庸(じょうよう)と金城(きんじょう)の勢を集めて、洛陽を攻める、と」
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諸葛亮は喜び、李豊と幕将たちとともに酒宴を催す。
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そこに早馬が現れ、閑居中の司馬懿が平西都督となるようですと知らせる。
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諸葛亮は、すぐに孟達への書簡をしたためて早馬に渡した。
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孟達は諸葛亮からの書簡を受け取り、返書を書いて早馬に渡す。
諸葛亮は返書を読み、落胆。返書には、司馬懿は洛陽に寄り、任官式を終えた後で攻めに来るため、一か月の猶予がある。その間に守備は充分に整えられるので心配ない、とあった。
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「司馬懿は洛陽に寄らず、直接孟達のもとへ向かうだろう」諸葛亮は、すぐに戒告の書を書いて早馬を飛ばす。
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勅使は司馬懿のもとを訪れる。
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司馬懿は一族・郎党を呼び、兵を募集し、すぐに行軍を開始。新城(しんじょう)の孟達に謀反の動きありと、金城の太守申儀(しんぎ)の一家臣が知らせたからだ。
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司馬懿は洛陽へは向わず、新城へ急ぐ。
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