鶏肋(けいろく) 図南の巻

内容

次男曹彰(そうしょう)と兵五万が加わった曹操(そうそう)は、斜谷(やこく)で蜀(しょく)軍との再戦を決める。

劉備(りゅうび)は諸将を集めて「曹操は、わが子曹彰を自慢するために、先鋒にするだろう。この中の誰が曹彰の首を獲ることができるだろうか」と言った。

孟達(もうたつ)と劉封(りゅうほう)のふたりが進み出るが、曹操軍は実子の曹彰が先鋒であるため、劉備の養子である劉封が進み出るのは当然であり、孟達は困った。

劉備はふたりに機会を与え、先鋒の左右両翼に陣を敷くよう命じ、ふたりはおのおの五千騎を率いて出る。

魏(ぎ)軍は斜谷(やこく)から平野へ戦列を敷く。

ただ一騎、その戦列から進み出て「魏王の次男曹彰とは我である。玄徳(げんとく)、これへ出よ」と、大声で吠えた。

孟達は劉封に遠慮して黙っていると、右陣から劉封が馬を飛ばして出る。

曹彰と劉封はぶつかるが、劉封は曹彰の相手ではなかった。

孟達は急いで駆け出し、劉封と入れ代って曹彰にぶつかる。

劉封は何も言わずに逃げた。

「逃げるのか劉封。親の顔へ泥を塗ってもいいのか」曹彰は劉封を追いかける。

ふと後ろを振り向いた曹彰は、魏の軍勢がうしろから崩れだしているのを見る。

曹彰は引き返すと、蜀の呉蘭(ごらん)・馬超(ばちょう)などが、斜谷のふもとへ出て退路を断とうとしている。

すぐに魏軍をまとめた曹彰は、呉蘭の兵を蹴ちらし、斜谷の本陣へ引き揚げる。

劉封は養父劉備に合わせる顔がなく、その反動なのか、孟達に対して余計なことをしやがってと怒りを覚える。

蜀軍の張飛(ちょうひ)・魏延(ぎえん)・馬超、黄忠(こうちゅう)、趙雲(ちょううん)が、斜谷の下まで迫っているため、これ以上の大敗を重ねると、本国まで帰ることが難しくなる。曹操は関城(かんじょう)の一室に籠って、今宵も考え込む。

食事が運ばれ、曹操は椀の蓋をとると、肉の少ない鶏の肋(あばら)のやわらか煮だった。

今宵の合言葉を確認しに入って来た夏侯惇(かこうじゅん)に、「鶏肋(けいろく)鶏肋」と曹操はつぶやく。

「今宵の合言葉は、鶏肋鶏肋」夏侯惇は警固の大将たちへ伝える。

「都へ帰る用意をせよ」行軍主簿の楊修(ようしゅう)は部下を集めて命じる。

夏侯惇はおどろいて、楊修にその理由を尋ねると、「鶏肋、つまり肉の少ない鶏の肋は、肉はないが捨て難い。いま直面している戦を鶏肋にたとえている」という。

夏侯惇は感服して、その旨を諸将へ告げる。

その日の夜も曹操は、陣営を見廻っていた。

「いったい誰が、荷物をまとめよと命令したのか」曹操は夏侯惇(かこうじゅん)に尋ねる。

夏侯惇の言葉を聞いた曹操は楊修を呼びつけた。

「今宵の合言葉である鶏肋(けいろく)のご意中を解いて、引揚げの用意をしておくようにと申しまた」楊修は曹操の前に平伏して言った。

曹操は自分の心の中を覗かれているような気がしたのか、朝になると、陣門の柱に楊修の首がかけられていた。

・・・

楊修には逸話がある。

かつて、鄴都(ぎょうと)の後宮(こうきゅう)に常春(とこはる)の園ができあがった頃、曹操はその花園を見に出かけた。

曹操は帰るときに、門の額をかける横木へ「活」の一字を書いて出て行った。

誰も曹操の意がわからずにうろたえている。

そこへ楊修が通りかかったので、この出来事を告げると「花園にしてはひろすぎるから、ちんまり造り直せという意にちがいない。門の中に活という文字をかけば、闊(ひろし)となるでしょう」と言った。

ふたたび庭園を訪れた曹操は、こんどはひどく気に入ったようで、「誰が直したのか」と曹操は尋ねる。

庭造りの役人は楊修だと答えると、喜んでいた曹操は急に黙った。

「明日、長男の曹丕(そうひ)と三男の曹植(そうしょく)を鄴城(ぎょうじょう)へ呼ぶが、ふたりが城門へ来たら、決して通すな」ある時、曹操は侍側の臣に命じる。

曹丕が城門へきた。

兵隊たちにきびしく止められた曹丕は、やむなく帰る。

次に曹植がきた。

兵隊たちは止めると「魏王の命あって、通るのである。誰も我を止めることはできない」と言い捨てて通る。

曹操は曹植を褒めたが、後になって、それは曹植の学問の師楊修が教えたものだと知り、がっかりする。

楊修は「答教(とうきょう)」という書を作って曹植に与えており、この書は父曹操から難しい質問があったときに見るものであり、問三十項に対する答が書いてあったそうだ。

・・・

蜀軍は魏軍を攻めたててきた。

魏の陣中から火があがる。馬超が斜谷の壁をよじ登って関内へ攻めこんだためだ。

曹操の姿を見た魏延と張飛が攻めかかる。

魏延と向き合う曹操を、魏軍龐徳(ほうとく)が馬をとばして助けにきた。

龐徳は魏延を相手にし、迫りくる蜀軍も防ぐ。

後ろから「あッ」という曹操の声がし、振り返ると曹操は落馬していた。

龐徳は慌てて曹操の元へ駆けつけると、曹操は両手で口をおさえており、前歯が二本欠けていた。おそらく、蜀軍の放った矢が曹操の口を射たのであろう。

曹操を馬上に乗せ、龐徳は落ちて行った。

斜谷の関城は炎につつまれており、魏軍は完敗。

曹操は車のなかで横になり、残余の兵を率いて京兆府(けいちょうふ)まで逃げ走った。

関連記事

次の章「漢中王に昇る(かんちゅうおうにのぼる)」へ進む

前の章「次男曹彰(じなんそうしょう)」へ進む

トップページへ進む