剣と戟と楯(けんとほことたて) 三国志(八)図南の巻

・劉備、荊州三郡を呉に還す

あらすじ

蜀では、「漢中を平定した曹操が、つぎは蜀を攻めにくる」といううわさが広まっていた。
諸葛亮は劉備に言った。
「呉に使いを出して、約束をしていた荊州三郡を返し、孫権に時勢を説いて、合淝(がっぴ)の城を攻めさせるのです。合淝は張遼に守らせるほど重要な拠点ですので、そうなると、曹操は蜀より先に、呉を攻めにいきます」
「その使いには、誰がいくのか」と劉備は問うと、「私が行きましょう」と、伊籍(いせき)が立った。
劉備の書簡を持った伊籍は、長江を下った。

呉へ行く前に、伊籍は荊州へ立ち寄った。関羽に会って、今回の使いの意を伝え、打ち合わせをすませ、そして呉へ向かった。

呉では、伊籍の申し出に、賛成反対とに分かれた。使者の伊籍はさらに説いた。
「呉が合淝をお攻めになれば、曹操はすぐに漢中から都へ引き揚げるでしょう。そうなれば劉備は、直ちに漢中を取り、荊州全土は、そっくり呉へお返しする考えです」
孫権は伊籍の申し出を認め、魯粛(ろしゅく)を荊州へ派遣した。

蜀と呉の問題であった荊州の領土は、全部ではないが、呉に荊州三郡が返還された。早速、呉は、大軍を出して、陸口(りっこう)附近に駐屯し、
魏の皖城(かんじょう)、つづいて合淝(がっぴ)を攻めることにした。しかし皖城ひとつ落とすために、呉はかなりの犠牲を払った。

孫権は、占領したその日、宴をひらき、士気を鼓舞していた。そこへ、遅れてきた凌統(りょうとう)が、中途から宴に加わり、「もう二日、早く着いていたら、この一戦に間に合ったものを」と、語った。すると、上座の方から、「まだ合淝(がっぴ)の城が残っている。それがしの如く、一番乗りをし給え」と、皖城攻めの一番乗りをした甘寧が言った。甘寧を見た凌統は、亡き父を思い出した。自身の父は甘寧に討たれたからだ。手は自然と剣にかかっていた。凌統はすぐに立って、「諸兄の労を慰めるため」と言い、剣舞をしはじめた。それを見た甘寧は、うしろの戟(ほこ)をとり、「それがしは戟をもって」と、舞い始めた。隙あらば父の仇を果そうとする剣と、隙あらば返り討ちにしようとする戟の舞は、殺気がみなぎっていた。このままでは大変なことになると、呂蒙(りょもう)が楯を持って、戟と剣の間へ飛びこんだ。そして巧みに、その場を収めた。孫権は、凌統と甘寧を呼んで、杯を二人に渡し、「わたくしの旧怨などは、互いに忘れてくれよ」と、諭した。

メモ

●主簿(しゅぼ)
将軍府や州郡などに置かれた属吏。文書行政をつかさどる。

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