金雁橋(きんがんきょう) 図南の巻

内容

涪城(ふじょう)に閉じこもっている劉備(りゅうび)は、諸葛亮(しょかつりょう)が来るのを待っていた。
黄忠(こうちゅう)は、諸葛亮を待つよりも、いまのうちに蜀(しょく)の陣営を攻めませんか、と進言した。
劉備は百日の沈黙を破り、蜀の陣営に夜襲をしかけた。
突然の襲撃に、蜀兵は混乱して逃げくずれ、雒城(らくじょう)に入って四門を閉じた。
劉備本隊は西門を攻め、黄忠と魏延(ぎえん)のニ部隊は東の門を、まる四日間攻め続けたが、雒城は落ちなかった。

蜀将張任(ちょうじん)は、のろしを上げて、城門をひらいた。
時刻は夕暮れ。ここ数日の城攻めで、ひどく疲れていた劉備軍は、夕方の食事の準備をしていた。
銅鑼(どら)や鼓(つづみ)の音、雄叫びが、四方から劉備の陣営に迫った。
劉備軍は八方へ逃げたが、逃げ出た先には呉蘭(ごらん)と雷同(らいどう)の二将軍が待ち構えおり、劉備軍の兵を斬り倒した。
馬のたてがみに顔をうずめ、無我夢中で逃げる劉備は、山路を駆け上ったが、劉備についてきている味方はひとりもいなかった。

山上から駆け下ってきた一軍があり、それは張飛(ちょうひ)の部隊だった。
張飛の部隊は劉備と合流し、山のふもとにまで迫る蜀兵を討ち返した。
そのため、蜀将張任(ちょうじん)は、全軍を雒城に収容して、城門を閉じた。

数日の後。蜀将呉蘭と雷同は、雒城を出て涪城を攻めたが、張飛、黄忠、魏延の策にはまって捕らえられ、劉備の前で降伏を誓った。

次の日。蜀将張任が一軍を率いて雒城を出たのを見た張飛は、丈八の大矛(おおほこ)を掲げて、張任に向かった。
張任は、張飛と十数合ほど戦ったのち、城北へ逃げ走った。
追う張飛は張任を見失った。
そのとき、四方で蜀の旗が立ち、張飛の部隊は全滅した。
張飛はひとり、涪水のほうへ逃げ走ったため、蜀将呉懿(ごい)が追った。
一方の堤から趙雲(ちょううん)が現れ、張飛を追う呉懿(ごい)を生け捕りにし、蜀兵を蹴散らした。
趙雲は諸葛亮とともに水路を進んでいたが、ようやく涪水のほとりに着いたのであった。
劉備と諸葛亮の前に差し出された呉懿は、降参をした。

次の日。諸葛亮は呉懿を連れて地勢の視察に出かけ、戻ると、魏延、黄忠、張飛、趙雲に策を授けた。
劉備軍は雒城の城壁へ迫った。
雒城の八門は開き、蜀兵は城外へ出た。南北の山すそに隠れていた城兵は劉備軍を囲んだ。
劉備軍は討たれて、うしろへ逃げた。
張任は兵を率いて雒城を出ると、逃げる劉備軍を追った。
うしろをを振り向いた張任は、劉備の一団を見たので、城に戻ることにした。
張任の部隊が戻る途中、魏延と黄忠の部隊に攻撃を受け、南へ逃げると劉備の兵が占めていた。

涪水(ふすい)の浅瀬を越えて対岸の広野へ逃げた張任は、老兵に守られている四輪車を見た。そこに諸葛亮がいた。
残っていた数千の兵とともに張任は攻め進め、四輪車は逃げた。
張任は馬を四輪車につけ、諸葛亮を捕らえようと巨腕をのばそうとしたとき、諸葛亮を守っていた兵のひとりが、下から馬の脚をかついでひっくり返した。
張任が落馬したところを、もうひとりの兵が飛びかかり、取り押さえた。
この二人の兵は、怪力の持ち主である魏延と張飛であった。老兵に混ざって身を隠していたのである。
四方へ逃げ走る蜀兵のほとんどは討たれるか降伏をした。
降伏した中には、前日に成都から援軍に来たばかりの大将卓膺(たくよう)もいた。
捕らえられた張任は、涪城で劉備の前に差し出された。
劉備は降伏を説得したが、張任は胸を張って拒んだ。
諸葛亮は「しつこく説得をすることは、真の忠臣に対する礼儀ではありません。早く首を斬って、その忠節をまっとうさせてやりましょう」と劉備にすすめた。
張任は首を斬られ、その屍は金雁橋のかたわらに忠魂碑をたて、そこにおさめられた。

劉備軍は雒城を包囲した。
さきに劉備に降参をしていた大将呉懿と厳顔(げんがん)は劉備軍の中からあらわれ、城中の者へ「降伏せよ」と説いた。
矢倉の上から大将劉璝(りゅうかい)があらわれ、「蜀の恩をわすれた者が何をいうか」とののしると、張翼(ちょうよく)は後ろから劉璝を蹴落とした。
城門は開かれ、降伏をした。
雒城にいた劉璋(りゅうしょう)の嫡子劉循(りゅうじゅん)は、北門からわずかな兵と共に急いで逃げた。

諸葛亮は劉備の同意を得て、成都(せいと)攻略の前に、雒城近隣の民の敵対心を取り除くことため、厳顔と卓膺(たくよう)には張飛をつけて、張翼と呉懿には趙雲をつけて、地方へ向かわせた。

成都は大混乱していた。
太守劉璋は軍議が開いたが、そこに法正(ほうせい)から書簡が来た。その書簡には、劉備と講和することの利が書かれており、家名の存続が保てる、とあった。
劉璋は怒って、法正の使いを斬った。これで劉備と講和を結ぶことはなくなった。
董和(とうか)は、漢中の張魯(ちょうろ)に援助を求めることを献策した。
劉璋は急使を派遣した。

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