内容
劉備は小沛(しょうはい)の城から逃げ走り、いつのまにかただ一騎となる。
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呂布(りょふ)は劉備の妻子を徐州(じょしゅう)の城へ移す。
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許都(きょと)へ向かう劉備に配下の孫乾(そんけん)は追いつき、合流する。
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劉備らは猟師の家に泊まる。
猟師は祖先をさかのぼると漢家とつながるといい、劉安(りゅうあん)と名乗る。
劉安(りゅうあん)は、狼の肉を煮て劉備らをもてなす。
あとで劉備らは知るのだが、劉安(りゅうあん)の家は貧しく、実は狼の肉ではなく、劉安(りゅうあん)の妻の肉を煮てもてなしていた。
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次の日。劉備らは梁城(りょうじょう)の附近を進むと、曹操(そうそう)は本軍を従え、迎えに来る。
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曹操は配下の曹仁(そうじん)に三千騎を与え、小沛(しょうはい)攻めを命じる。
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呂布(りょふ)は兗州(えんしゅう)から徐州(じょしゅう)に帰っていた。
そして陳登(ちんとう)は呂布(りょふ)とともに、陳珪(ちんけい)は徐州(じょしゅう)の守りを命じられる。
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陳登(ちんとう)は呂布(りょふ)に言う。「父陳珪(ちんけい)は徐州(じょしゅう)守りの大役を心配している」
呂布(りょふ)は糜竺(びじく)を呼び「陳珪(ちんけい)とともに城に残れ」と命じる。
糜竺(びじく)と陳珪(ちんけい)陳登(ちんとう)親子は、裏でつながっていた。
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呂布(りょふ)軍は小沛(しょうはい)へ進んでいたが「蕭関(しょうかん)が危ない」との知らせが入る。
そこで蕭関(しょうかん)へ向かおうとするが、
陳登(ちんとう)は「自身が先に行って、蕭関(しょうかん)の様子を見てくる」と言って向かう。
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蕭関(しょうかん)の砦(とりで)に着いた陳登(ちんとう)は、その夜、砦(とりで)の高やぐらへ登り、曹操の陣地へ矢文(やぶみ)を放つ。
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