柑子と牡丹(こうじとぼたん) 三国志(八)図南の巻

・曹操、魏王となる

あらすじ

毎年、呉から貢ぎ物を得ることとなり、また、漢中の地を治めたこともあり、都府の百官は、曹操を魏王の位に推挙しようと考えていた。侍中の王粲(おうさん)は、曹操を褒めたたえた長詩をつくり、披露していたので、曹操もその気になっていた。ところが諸人の議場で、尚書の崔琰(さいえん)が、曹操を魏王に薦める者たちを諫めると、「荀彧(じゅんいく)や荀攸(じゅんゆう)みたいな終りを遂げたいのか」と諸官は怒り、大喧嘩になった。そのことが曹操の耳に入り、激怒して、崔琰を獄へ放り込ませた。崔琰は、獄の中から、「漢の天下を奪う逆賊は、ついに曹操ときまった」と、大声で叫び散らした。その叫びは曹操にも聞こえた。曹操は廷尉(ていい)に、だまらせるようにと命じると、廷尉は崔琰を棒で打ち殺した。

建安二十一年五月。官吏軍臣たちは、帝に上奏して、詔(みことのり)を仰いだ。その内容は、曹操を魏王とするものである。帝はやむなく、鍾繇(しょうよう)に詔書の起草を命じ、曹操を魏王とした。曹操は、さっそく、鄴都(ぎょうと)に、魏王宮が造ることにした。

曹操には四人の子がいる。みな男子で、曹丕(そうひ)、曹彰(そうしょう)、曹植(そうしょく)、曹熊(そうゆう)という。四人とも、大妻丁(てい)夫人の子ではなく、側室の子であった。曹操は、世継ぎには、三番目の曹植を考えていた。曹植は、幼少から詩文の才があり、頭脳はあきらかで、上品な風姿をしていた。嫡男の曹丕(そうひ)は、自分が曹家を継ぐべきだと考えており、中大夫(ちゅうたいふ)の賈詡(かく)に、何かと相談をしていた。曹丕は、父曹操のそば近くで使える者たちには、特に目をかけて、金銀を与えたり、徳を施したりしていたので、曹丕の評判はよかった。ある時、曹操は賈詡を呼び、世継ぎには、曹丕と曹植とどちらがよいかと尋ねた。賈詡は、あえて答えないように話をそらしていたが、再三、曹操が尋ねるため、「さきに亡んだ袁紹(えんしょう)や、劉表(りゅうひょう)がよいお手本ではありませんか」と答えた。つまり、劉表も袁紹も、世継ぎに正統の嫡男を立てていなかった。曹操は大いに笑い、決心した。その後まもなく、嫡子曹丕を世継ぎとすると発表された。

その年の冬十月。魏王宮は完成した。完成を祝うための宴を開くため、府から諸州へ「特色ある土産を献上せよ」と布達した。それを受けた呉では、温州(うんしゅう)は柑子(こうじ。みかんのこと)が有名であるため、温州柑子四十荷を人夫に背負わせて都へ送った。四十荷の柑子は、ようやく、鄴都(ぎょうと)の途中まできた。ある山中で、人夫たちが荷をおろして休んでいると、そこへ突然、片目を細くして、片足は引きずりながら、老人がやってきた。その老人は、白い藤の花を冠にさし、青い色の衣を着ていた。人夫のひとりが、「爺さん。助けてくれ。これからまだ千里もあるんだ」と冗談で言うと、老人は一人の人夫の荷物を背負った。そして数百人のほかの人夫たちへ、「おぬしらの荷物も、みなわしが背負ってやる。さあ、ついてこい」と言って、走りだした。老人にひとつでも荷物を奪われては大変と、人夫たちは荷物を背負って、あわてて続いて行った。ところが、老人のいったとおり、荷を背負っていても、少しも重さを感じないので、人夫たちはみな、不思議に思った。別れ際に、人夫の奉行が、老人に素性をたずねると、「わしは、魏王曹操とは、同郷の友で、左慈(さじ)といい、道号は、烏角(うかく)先生とも呼ばれておる」と、老人は言った。やがて、人夫たちは鄴都の魏王宮に着いた。

温州柑子(うんしゅうこうじ)が届いたと聞いて、曹操は、早速、盆からひとつを取って割った。ところが、柑子の実は空っぽだった。三つ四つ取って裂いてみたが、どれもみな同じで、中身は空っぽだった。曹操は、荷を運んできた奉行を呼び、質したが、奉行はあたふたするばかりである。ただ、途中で左慈という奇異な老人に出会ったことを話した。同郷の友というが、曹操に心当たりはなかった。そこへ、王宮の門兵から、曹操に会いたいという老人が来たという。招き入れたところ、その老人は左慈だった。曹操は、柑子のことについて責めた。左慈は一、二本しかない前歯を出して笑いながら、自身で柑子を取って割ってみせると、果肉はいっぱいで、甘い香りが広がった。曹操は、驚いたが、左慈に向って、毒味を命じた。左慈は笑って、「酒と肉をいただきたい。柑子は口直しに後でいただきます」と、答えた。曹操は、酒五斗に、大きな羊の丸焼きを与えると、左慈は、ぺろんと平げて、まだ物足らない顔をしていた。曹操は左慈に、仙術でも得た者ではないかとたずねた。
「峨眉(がび)山中に入って、道を学ぶこと三十年。術を悟り、人の首を獲ることなど簡単なことであります。大王は人臣の最高をきわめましたので、この左慈の弟子となり、無限に生きる修行をいたしませんか」
「まだ天下は治まっていないため、無理だ。われ以外に代わる者がいない」
「劉備にまかせればよいのです。大王がおられるよりも、万民、朝廷、ともにご安心になりましょう」
曹操の顔色は変わった。曹操は、左慈を獄へ放り込み、数十名の獄卒は、かわるがわるに左慈を拷問をした。しかし獄中から聞えてくるのは、左慈の笑い声だった。眠らせないように、首には鉄の枷(かせ)をはめ、両足首には鎖で縛り、そして牢屋の柱に縛りつけた。ところが、少し経つと、高いびきが聞こえてくる。牢屋の中を覗いてみると、鎖も鉄の枷もこなごなになっており、左慈は、横になって寝ていた。一切の水・食べ物を禁じたが、七日たっても十日経っても、左慈の血色は衰えるどころか、日々元気になっていった。

魏王宮落成の大宴の日が来た。国々の美味、山海の珍味がならび、武人百官が魏王宮の一殿を埋めた。そこに、高下駄をはいて、藤の花を冠にさした左慈が、突然、現れた。曹操は、左慈を、困らしてやろうと考え、そこの大花瓶に牡丹の花を咲かせてみよと、命じた。左慈は、花瓶に向けて、唇から水を噴くと、牡丹の大輪が咲きだした。

さあ、このあと、曹操と左慈はどうなるのか。次の章へ続く。

メモ

●頌する(しょうする)
功績を文章につづってほめたたえる。

●尚書(しょうしょ)
後漢の事実上の中央政府である尚書台の三等官。俸禄は六百石だが、実権は大きい。

●冊立(さくりつ)
勅命によって皇后・皇太子などを立てること。

●眇る(すがめる)
片目を細くする。

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