草喰わぬ馬(くさくわぬうま) 三国志(九)出師の巻

・関羽、死す

あらすじ

関平も呉軍に生け捕られ、呉侯孫権のもとへ送られた。途中関平は、父関羽の名を叫び続けていた。

孫権は、目の前にいる生け捕った関羽に、降伏するようにと諭した。
しかし関羽は「桃園の誓いあり。降伏せよとは笑止。はや首を打て」と言ったきり、口をつぐんでしまった。
孫権は一代の英雄である関羽を惜しんでいたが、主簿(しゅぼ)の左咸(さかん)は、関羽を殺さなければ後に呉の大害となると意見した。
孫権は考え抜いた結果、惜しむ心を断ち切るために、「関羽を斬れ」と叫んだ。
建安二十四年の十月。関羽と養子関平はその首を打ち落とされた。

孫権は褒美として、関羽を生け捕った馬忠には関羽の愛馬赤兎(せきと)を、潘璋には関羽の遺物(かたみ)となった青龍の偃月刀(えんげつとう)を与えた。

赤兎馬は、関羽の死んだその日から、草を食べなくなり、麦城のほうを向いていななくのみであった。

麦城では、百余人が城を死守していたが、その後、呉軍が迫ると、王甫(おうほ)も周倉も自死した。

呉将呂蒙は、荊州占領後、しばらくして、病により死んだ。
しかしその原因は、病ではなく、関羽の生霊がとりついたためだという話もある。

メモ

●懇志(こんし)
親切に行き届いた志。

●碧眼(へきがん)
青い目。

●紫髯(しぜん)
赤茶けたひげ。

●鼠輩(そはい)
ねずみのようにとるにたりない、つまらない人間。

●夢寐(むび)
眠っている間。

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