兄弟再会(きょうだいさいかい) 孔明の巻

内容

関羽らを迎えた翌日。劉備配下の糜竺(びじく)と糜芳(びほう)兄弟は四、五十騎の一隊を率いて古城へやって来た。

次の日。関羽は孫乾(そんけん)を連れ、劉備のいる汝南(じょなん)へ向かった。

関羽らは汝南城で劉辟(りゅうへき)に会った。
「劉備殿は四日ほど前に河北へ戻られた」劉辟は言った。

関羽と孫乾は河北へ向かった。

数日が経ち、関羽と孫乾は冀州(きしゅう)の手前まできた。
「冀州に入って皇叔(劉備)を連れてくる」と孫乾は言った。
関羽は村の邸の門をたたいた。邸の主は関定(かんてい)と名乗った。関羽は数日間、世話になった。

孫乾は劉備の居館を探りあて、劉備に会うことができた。
劉備は簡雍(かんよう)を呼び、脱出の知恵を借りた。簡雍は劉備を慕って、冀州へ来ていたのであった。

次の日。劉備は袁紹(えんしょう)に会った。
「荊州(けいしゅう)に行き、劉表(りゅうひょう)を説得して味方に加えます。そして関羽を見つけ、連れて戻ってきます」劉備は言った。
袁紹は許した。
次の日、劉備は走り出た。

そのあとすぐ、簡雍は袁紹に会った。
「劉表に説き伏せられて、劉表の味方になる可能性があります。私が随員として監視するため、劉備について行きます」簡雍は言った。
袁紹は「すぐに追え」と命じた。

簡雍はすぐに劉備に追いついた。
劉備らは、さきに待っていた孫乾と合流し、関定の邸で関羽と再会した。
「関定の子関平(かんぺい)を養子にしてはどうか」劉備は関羽に言い、話はまとまった。
次の日の朝。劉備らは関定の邸は出た。

数日後。関羽らは臥牛山(がぎゅうざん)への道にさしかかった。
裴元紹(はいげんしょう)は部下を率いて出迎えているはずが、彼方から逃げ走って来た。
その中にいた周倉(しゅうそう)に関羽は問うた。
「山上から降りてくると、一名の浪人が路上で寝ておりました。裴元紹が浪人をののしると、浪人は裴元紹を斬ってしまった。総がかりで浪人にあたりましたが、相手になりません」
関羽は山麓を駆けあがり、劉備もそのあとに続いた。
浪人は劉備の姿をみると、馬から降りて地上に平伏した。
「趙雲(ちょううん)ではないか」劉備は驚いた。
趙雲は劉備に仕えることとなった。

劉備らは古城で張飛らの出迎えを受けた。
その夜。大歓宴が開かれ、汝南の劉辟(りゅうへき)も駆けつけた。
「汝南を基地として、次の大策におかかりください」劉辟は汝南を劉備に譲った。
劉備は即日、汝南へ移った。

袁紹は劉備の裏切りに激怒したため、郭図(かくと)は主君を諫めた。
郭図が話したことをまとめると
・劉備よりも曹操を先に片付けなければならない。
・荊州の劉表は頼りにならない。
・呉国(ごこく)の孫策(そんさく)を味方に加えるべき。

半月のあと。袁紹配下の陳震(ちんしん)は呉へ向かった。

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