内容
呉(ご)の孫権(そんけん)は濡須(じゅしゅ)の岸へ進軍。
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そこに待ち構えていた魏(ぎ)軍張遼(ちょうりょう)と徐晃(じょこう)は孫権の中軍を取り囲む。
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魏軍許褚(きょちょ)は馬をとばして、孫権を捕らえに出る。
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呉軍周泰(しゅうたい)は魏軍の背後へまわって一角を崩し、孫権を救出。
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呉軍呂蒙(りょもう)の部隊が引き返す。
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周泰は孫権を船へ移し、味方の徐盛(じょせい)を救うため魏軍の中へ突っ込む。
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徐盛を抱え帰ってきた周泰は、水際まで来るとその場に崩れる。
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その間、呂蒙は射手百人で追ってくる魏軍を食い止め、さらに射手を船上に乗せて孫権を守りながら、濡須の下流へと落ちる。
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魏軍龐徳(ほうとく)と戦っていた呉軍陳武は退路を失い、狭い山間地へ追い込まれて龐徳に首を獲られる。
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孫権の乗る船が河の合流点まで落ちると、本流長江から呉軍陸遜(りくそん)が兵船数百艇に十万の兵を乗せてさかのぼってくる。
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孫権や重傷者は船中に残し、ほかの残兵には船を守らせ、新手の呉軍十万の兵をすべて岸へ上げる。
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陸遜は矢を魏軍めがけて一斉に放ち、総突撃を命令。
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陸遜の軍は魏軍を遠くへ追い払い、戦場に残る味方の亡骸(なきがら)や陣具を収容して戻る。
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収容した亡骸の中には、部下の陳武と董襲(とうしゅう)もあった。
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それから一か月が経つが、魏軍に動きはない。
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呉の老臣張昭は、曹操との和睦を提案。孫権は、歩隲(ほしつ)を使いにだす。
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孫権が出した和睦の条件に、中央の府に対して毎年貢(みつ)ぎを献じる、とある。曹操は和睦に同意。
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魏軍を引いて曹操は都へ帰り、孫権は秣陵(まつりょう)へ引揚げる。
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一方で、呉は前線の濡須の口の守りを、魏は境界である合淝(がっぴ)の守りを、さらに固める。
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