休戦(きゅうせん) 三国志(八)図南の巻

・曹操と孫権、和睦する

あらすじ

呉の主君孫権は、若さゆえに軽々しく、濡須(じゅしゅ)の岸へ進軍し、そこに待ち受けていた魏軍張遼(ちょうりょう)と徐晃(じょこう)の二軍に囲まれてしまった。曹操は小高い丘の上からその様子を見ていた。「今ぞ。孫権を捕らえるのは」と、曹操が言った言葉に、側にいた許褚(きょちょ)が反応し、馬をとばして、孫権を捕らえに出た。呉兵の死屍は山のように積みあがっている。主将孫権がどこにいるのか、誰が誰なのか見分けもつかぬほどであった。呉軍周泰は、一方に血路をひらき、河流の岸までのがれて来たが、主君孫権は魏軍の囲みから出ることができずにいる。そこで周泰は魏軍の背後へまわって、一角を崩し、孫権と駒を並べて、敵の矢道を走り抜けた。そこへ呉軍呂蒙の一軍が、中軍の大敗を案じて引き返してきた。周泰は、舟を呼び寄せ、孫権を舟へ移した。そして、行方がわからない徐盛を捜しに、周泰はふたたび、魏軍の人馬の中へ突っ込んで行った。

しばらくして、徐盛を抱え、周泰は帰ってきた。しかし二人とも、全身傷だらけで、水際まで来ると、力尽き、その場に崩れてしまった。その間、呂蒙は、射手百人で、追ってくる魏軍を食い止め、さらに、射手を船上に乗せ、孫権を守りながら、濡須の下流へと落ちていった。魏軍龐徳(ほうとく)と戦っていた呉軍陳武は、退路を失い、狭い山間地へ追い込まれ、龐徳に首をとられていた。

孫権の乗った船が河の合流点まで落ちていくと、本流長江のほうから、呉軍陸遜(りくそん)が率いる十万の兵が、兵船数百艇に乗り込み、さかのぼって来た。孫権は、退却するために、味方十万の兵が迎えに来たと考えた。しかし、陸遜の考えは違っていた。このままでは、魏軍は、呉軍を恐れるに足りないと思い、呉軍は、魏軍が強いと思い、恐れるようになる。退くにしても、呉軍にも後備の実力があることを魏軍にわからせる必要がある、と陸遜は考えていた。そこで、孫権や重傷者は船中に残し、ほかの残兵には船を守らせ、新手の十万の兵をすべて岸へ上げた。そして、呉のために死ねと、陸遜は命令し、矢を魏軍めがけて一斉に放った。すると、魏軍は乱れだした。陸遜は、総突撃を命令した。呉軍十万の兵は、魏兵へ襲いかかった。突く、蹴る、刺す、撲る、踏みつぶす、組み合ったまま河へ飛び込む。陸遜軍は魏軍を遠くへ追い払い、勝利を取りかえした。そして孫権が大敗した戦場まで行って、味方の死体や陣具を収容して戻ってきた。収容した死体の中には、部下の陳武や董襲(とうしゅう)もあった。

それから一か月が経った。その間、魏軍に動きはなかった。呉の老臣張昭は、曹操との和睦を進言し、孫権は、歩隲(ほしつ)を使いとして出した。孫権が出した和睦の条件に、中央の府に対し、毎年、貢(みつ)ぎを献じる、というものがあったため、曹操は和睦に同意した。魏軍を引いて曹操は都へ帰り、孫権は秣陵(まつりょう)へ引揚げた。しかし、呉は前線である濡須の口の守りを、魏は境界である合淝(がっぴ)の守りを、さらに固めていた。

メモ

●軽忽(けいこつ)
軽々しく、そそっかしいこと。

●僥倖(ぎょうこう)
偶然に得るしあわせのこと。

●壮語(そうご)
意気の盛んなことを言うこと。

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