内容
郭汜(かくし)は、和睦の提案をした楊彪(ようひょう)と帝に仕える六十余名を捕らえる。
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李傕(りかく)と郭汜(かくし)の戦いは五十日ほど続く。
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ある日。帝は李傕(りかく)の配下賈詡(かく)に声をかける。
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賈詡(かく)は李傕(りかく)の悪評を兵の間にささやいたため、李傕(りかく)の軍から脱走する兵や、他国へ落ちて行く兵が増える。
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ある日。李傕(りかく)配下の宋果(そうか)は同僚の楊奉(ようほう)に、反乱を起こして帝を助けようと言う。
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その夜十時頃。楊奉(ようほう)は兵を伏せて待っているが、宋果(そうか)からの合図がない。
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楊奉(ようほう)は、宋果(そうか)が李傕(りかく)に斬られていたことを知る。
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李傕(りかく)の兵が楊奉(ようほう)の陣を攻めてきたので、楊奉(ようほう)は逃げ落ちて行く。
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陝西(せんせい)地方から董卓(とうたく)の旧臣で四将のひとりであった張済(ちょうさい)が大軍を率いて、郭汜(かくし)に和睦を押しつける。
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郭汜(かくし)は和睦を受け入れ、捕らえていた帝に仕える六十余名を解放する。
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張済(ちょうさい)のすすめにより、帝は弘農(こうのう)へ移ることとなる。
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帝の車には李傕(りかく)もついている。帝の車が華陰県(かいんけん)を通る頃、郭汜(かくし)の兵馬が追ってきた。
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別の方角からは、一千余騎の軍を率いる楊奉(ようほう)が現れ、帝の車に向かって来た。
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