木牛流馬(もくぎゅうりゅうば) 三国志 五丈原の巻

あらすじ

魏の鄭文(ていぶん)は蜀へ投降した。
司馬懿(しばい)は秦朗(しんろう)という者を重用し、自身を軽んじ、身の危険を感じたからだという。

祁山(きざん)の下の野では「鄭文を渡せと」魏将が叫んでいる。
鄭文に聞くと、秦朗だという。
諸葛亮は「秦朗の首を持ってくれば、認める」と鄭文に言う。

鄭文は秦朗の首を持って戻ってきた。
しかし諸葛亮は秦朗の顔を知っており、秦朗でないことを見破る。
鄭文は檻車(かんしゃ)に入れられる。

翌日、諸葛亮が用意した内容の書簡を鄭文に書かせる。
書簡には、祁山(きざん)の火を合図に、司馬懿みずから攻められよ。諸葛亮を捕らえる機会だとある。

住民に姿を変えた蜀兵が書簡を司馬懿の側臣に手渡す。

司馬懿は早速、準備にとりかかる。

息子の司馬師は父司馬懿を諫める。
司馬懿は後陣へまわり、べつな大将を先陣に置いた。

その夜。魏軍は蜀の陣営に向かう。

蜀軍は兵を林の中に潜ませ、魏軍を待つ。

夜が更け、魏軍は蜀の陣営に突入する。
しかし陣営には人ひとりいない。

蜀軍は魏軍を囲み、魏の先鋒軍を破る。
その中には、魏将秦朗もいた。

司馬懿は後陣にいたため、先鋒軍を救援に行く。
しかし蜀軍にかなわず、退く。
自陣に戻り堅く守ることのみとする。

諸葛亮は、渭水(いすい)の東方にあたる葫芦谷(ころこく)に千人の兵を入れて、「木牛」「流馬」を作らせる。
「木牛」「流馬」とは、兵糧などを運ぶ輸送機である。
これがあれば悪路も輸送可能となる。

一か月後、蜀軍は木牛流場隊を編成し、剣閣から祁山(きざん)へ兵糧の輸送を開始する。

メモ

●讒(ざん)
事実にないことを言って他人をおとしいれる。

●曲(きょく)
正しくない。

●枚を喞む(ばいをふくむ)
声を立てず、息を凝らす。

●漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)
習鑿歯(しゅう さくし)の撰。蜀漢の正統を主張する史書。

●亮集(りょうしゅう)
『諸葛氏集』のこと。陳寿が編纂した諸葛亮の文集。

●後主伝(こうしゅでん)
『三国志』後主伝を指す。

●後山叢譚(ござんそうだん)
北宋の陳師道『後山談叢』のこと。

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