内容
諸葛亮(しょかつりょう)は成都(せいと)に帰り、ただちに百官の言動を調べる。
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百官に賄賂を与え、「諸葛亮に野心あり」との噂を広めさせた苟安(こうあん)はすでに蜀にはいない。
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諸葛亮は百官を正したのち、漢中(かんちゅう)へ向かう。
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蜀(しょく)の建興(けんこう)九年、魏(ぎ)の太和(たいわ)五年、この春の二月、魏帝は司馬懿(しばい)に軍事作戦を託す。
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司馬懿は、渭水(いすい)の陣に張郃(ちょうこう)と四万騎をのこし、みずからは隴西(ろうせい)へ向う。隴西の麦を蜀軍から守るためだ。
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鹵城(ろじょう)を落とした蜀軍は、隴上(ろうじょう)へ向かう。
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蜀軍の先頭をいく小隊から、「司馬懿が阻んでいる」と報告がくる。
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諸葛亮は乗用の四輪車を四両用意し、三名の将を帷幕に呼ぶ。
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夜になり、三将は自陣へ戻る。
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諸葛亮は関興(かんこう)に出陣を命じる。
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華やかな簪冠(さんかん)をいただき、白い衣を着る諸葛亮。黒衣を着て、髪を振りほどき、片手に剣をさげ、裸足である兵二十八人が四輪車を囲む。先頭は北斗七星の旗を掲げており、関興や旗本は赤装束である。この一軍が隴上(ろうじょう)へ進む。
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そのあとを手に鎌を持った歩兵三万が続く。麦を刈る部隊である。
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魏軍の物見は「鬼神の軍が来た」と報告。
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丑(うし)の真夜中、司馬懿は陣頭へ馬をすすめる。
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