のら息子(のらむすこ) 孔明の巻

内容

関羽らの乗った船は北の岸に着いた。甘(かん)夫人と糜(び)夫人の乗る車を陸に揚げ、草原のなかを進んだ。

数日後。関羽のもとに彼方からひとりの男が馬を走らせ近づいてきた。その男は劉備配下の孫乾(そんけん)だった。
「ご主君(劉備)は河北(かほく)を脱出して、汝南(じょなん)へ向かわれた」孫乾は言った。
関羽は孫乾に道の案内をさせ、汝南へ向かった。

三百騎ほどの軍隊が関羽らを追ってきた。
追ってきたのは片目がつぶれている夏侯惇(かこうじゅん)だった。
関羽の偃月刀(えんげつとう)と夏侯惇の魚骨鎗(ぎょこつそう)は二十数回と合わさった。
「戦いは止めたまえ」叫びながら曹操の急使が現れた。
急使は通行手形を出して、関羽を通されよとのご命令だと言った。
夏侯惇はきかずに戦いを続けた。
「丞相(曹操)のご命令にそむく気か」張遼(ちょうりょう)が早馬でやって来た。
夏侯惇は軍兵とともに退いた。
張遼と別れる際、関羽は、曹操の信義に感謝し、配下の者を斬ったことを詫びた。

夜となり、関羽らは民家に泊めてもらった。ここの主人は郭常(かくじょう)と名乗った。
みなが寝しずまったころ、五、六人の泥棒が赤兎馬(せきとば)を盗もうとしていた。
赤兎馬はひとりを蹴り飛ばし、その物音でみなは目を覚ました。
孫乾らが泥棒を捕まえると、その中にこの家の息子がいた。
孫乾が泥棒たちを斬ろうとすると、家の主人が息子の命乞いをして詫びた。
関羽は泥棒たちを解放した。

次の日。関羽らは山岳に入った。
峠へきたとき、百人ほどの手下をつれた山賊の大将が道の真ん中をふさいでいた。
「通してほしければ、赤兎馬を置いて行け」山賊の大将はそう言い、裴元紹(はいげんしょう)と名乗った。
「これを知らぬか」関羽はひげを左手に握って見せた。
裴元紹は目の前にいるのが関羽だと知り、馬から飛び降り、ひとりの若者を引きずり出した。その若者は、昨夜、宿泊した家の主人の息子であった。
裴元紹はこの若者の口車に乗せられたため、斬ろうとした。
関羽は、若者の両親には一夜の恩を受けているので、放してやるように、と言った。

山中での関羽らの道案内役を裴元紹はつとめた。
裴元紹が関羽のことを知っていたのは、周倉(しゅうそう)という者から聞いていたからであり、その周倉は関羽のことを非常に慕っているというのだ。

十数里進んだとき、道端にうずくまって拝礼している一団がいた。
「あの大将が周倉(しゅうそう)です」裴元紹は関羽に言った。

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