内容
関羽(かんう)を取り込んで、呉(ご)と蜀(しょく)で魏(ぎ)に対抗するという諸葛瑾(しょかつきん)の策は、失敗に終わる。
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諸葛瑾からの報告を聞いた孫権(そんけん)は荊州(けいしゅう)を攻めると宣言。
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しかし、参謀の歩隲(ほしつ)は反対。魏が荊州を攻めることを条件に、曹操(そうそう)と同盟を結ぶのがよいというのだ。
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孫権は歩隲の策を認め、魏に使者を送る。
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曹操は呉の申し出を受け入れ、満寵(まんちょう)を曹仁(そうじん)のいる樊城(はんじょう)へ派遣。
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荊州から魏の曹仁が攻めてきたとの報告を受けた諸葛亮(しょかつりょう)は費詩(ひし)を荊州へ送る。
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費詩は関羽に漢中(かんちゅう)王のお言葉として「ただ守るだけでなく、敵の樊城も攻めとられよ」と伝える。
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関羽は全軍を率いて荊州を出る。
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曹仁と関羽は襄陽(じょうよう)郊外でぶつかる。
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大敗した曹仁は襄陽を越えて樊城へ退く。
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関羽は襄陽へ入る。
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司馬(しば)の王甫(おうほ)は関羽に注意をうながす。陸口(りっこう)にいる呉の呂蒙(りょもう)が荊州を攻めてきたら、防ぎようがないと。
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王甫は要所要所に見張り所として烽火台(のろしだい)を築くのがよいと提案。関羽は許した。
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荊州へ帰った王甫は準備を進め、烽火台工築に着手。
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襄陽に戻った王甫は、烽火台の工事は順調に進んでいるが、人の問題があるという。江陵(こうりょう)方面の守備にいる糜芳(びほう)と傅士仁(ふしじん)、荊州の留守を預かる潘濬(はんしゅん)は頼りがないと。
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自らが選んだ人選であったため、関羽は王甫の指摘を聞き流した。
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関羽は曹仁が逃げた樊城へ向かう。
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