・老将黄忠、葭萌関の救援に向かう
あらすじ
郭淮（かくわい）の進言により、命拾いした張郃（ちょうこう）は、雪辱を果たすため、五千余騎を従えて、葭萌関（かぼうかん）に馬を進めた。葭萌関を守っているのは、蜀の孟達と霍峻（かくしゅん）の両大将である。攻めてきた張郃軍に対して、霍峻は関を出ずに守るというし、孟達は外に出て攻めるという。議論の末、孟達の意見をとった。孟達は、蜀兵を率いて、葭萌関を出て、張郃の軍とぶつかった。孟達の軍は、張郃の軍に破れ、関に逃げ戻ってきた。霍峻は慌てて、成都に救援を求める早馬を出した。
葭萌関からの知らせを受けた成都では、全軍の大将を集めて協議に入った。諸葛亮は、閬中（ろうちゅう）を守る張飛を、葭萌関の救援に向かわせると言ったところ、黄忠は、長刀を手にとって、上下左右に鮮やかに振り回し、壁に掛けてあった強弓二張を手にとっては、折って見せた。黄忠の覇気をみとめた諸葛亮は、副将を連れて行くことを条件に、黄忠を大将として、葭萌関の救援に向かわせることした。黄忠はひどく喜び、老将厳顔（げんがん）を副将とすることに、劉備も認めた。その場にいた趙雲（ちょううん）は、老人黄忠ではうまくいかないだろうと、不満な顔をしていた。
黄忠、厳顔の二将は、兵を率いて葭萌関に到着した。救援を待っていた孟達と霍峻は、年老いた将の救援軍を見て、諸葛亮の才を疑い、老人では役に立つまいと、ばかにして笑い、関守の印を渡した。黄忠と厳顔は、二人の旗を山上に立て、魏軍にその名を知らしめた。蜀軍黄忠と魏軍張郃はぶつかった。黄忠と張郃は約二十余合戦うと、張郃軍の背後から、蜀軍厳顔の兵が小路を迂回して現れ、張郃軍を挟み撃ちにした。張郃軍は崩れて、八、九十里退却した。曹洪は、またしても張郃が敗れたことを知り、首を斬れと激怒した。郭淮（かくわい）は、曹洪を諫めて、「罪を問えば、張郃は蜀の軍門に下るでしょう。別に大将を派遣し、張郃とともに蜀軍をふせぐことが上策」と言った。曹洪は、夏侯惇の甥（おい）である夏侯尚を大将に、韓玄（かんげん）の弟韓浩（かんこう）を副将にし、五千余騎を与えて、張郃の救援に向かわせた。
夏侯尚と韓浩は、陣を構えて蜀軍を待っていた。黄忠と厳顔は毎日、あたりの地理を調査していた。厳顔が思い出したように、「この近くにある天蕩山（てんとうざん）に、曹操は兵糧を貯えており、この山を攻め取ったならば、魏軍は兵糧補給の道を断たれ、漢中にとどまることができなくなる筈です」と黄忠に言った。厳顔は、黄忠と策を打合せた後、一軍を率いて出て行った。陣に残った黄忠は、夏侯尚の軍が迫ってきているとの知らせに、陣容を整えて待っていた。魏軍の中から韓浩（かんこう）が現れ、槍をかまえて打ちかかってきた。黄忠は刀をまわして対抗したが、夏侯尚が黄忠の背後を獲ろうとしている。黄忠は、情勢不利と見て、逃げては戦いを繰り返し、二十里あまり退がった。夏侯尚は黄忠の陣を奪取した。次の日も、同じような戦が行われ、魏軍が奪いとった黄忠の陣は、張郃（ちょうこう）に守らせ、なおも進んでいった。張郃は、深追いしない方がよいと、夏侯尚（かこうしょう）に注意すると、夏侯尚は怒って、「だから、宕渠山（とうきょざん）の陣を破られ、多くの人馬を失うのだ。黙って、我らの武功を見ていればよい」と言った。張郃は顔を赤くすると、夏侯尚は満足したようで、軍を前進していった。次の日も、黄忠は二十里退去した。黄忠は、次々と敗走し、ついには葭萌関に戻ってしまい、ここから出なくなった。黄忠を追ってきた夏侯尚は、関前に陣を構えた。
葭萌関を守っていた孟達は、劉備のもとに早馬を飛ばし、黄忠は、五か所の陣を魏軍に奪われたと知らせた。劉備は驚いたが、諸葛亮は、心配することはありませんと、平然と答えた。劉備は不安になり、劉封（りゅうほう）に一軍をつけて、黄忠救援に向かわせた。
葭萌関に着いた劉封が「わが父、将軍の苦戦を知り、援軍の命が下ったのです」と黄忠に言うと、黄忠は笑った。五か所の陣を捨てたのは、敵に与えて、兵粮などを貯えさせるためであり、今宵の一戦で、魏軍を叩きのめし、兵糧を奪いとるというのだ。その夜半。黄忠は五千余騎を従え、門を開いて攻撃に出た。魏軍は、すっかり油断をしており、眠っていたので、突然、五千余騎の攻撃を受け、大混乱した。夏侯尚も、韓浩も、馬が見つからず、走って逃げた。魏軍が奪い取った陣のうち、三か所の陣を黄忠は取り戻し、魏軍の死傷数は非常に多かった。黄忠は、魏軍の残した兵粮や兵器等を運び入れるよう孟達に命じ、自身は猛攻を続けた。劉封は、配下の兵に休息を、と進言したが、黄忠は首を振り、「身を捨ててこそ、手柄も高名もあがる。息ついてはならぬ。者ども進めっ」と、みずから先頭に立って鼓舞した。黄忠率いる五千の精兵は、追撃に追撃を繰り返し、魏軍は漢水の辺りまで退却せざるを得なかった。
漢水に入って、張郃は、夏侯尚と韓浩に、天蕩山（てんとうざん）には、味方の兵粮を貯蔵しているが、そこに蜀軍が攻めてこないか心配だと、思い出したように言った。夏侯尚は、天蕩山には、わが兄夏侯徳が守っているので、一緒に天蕩山を守ろうと言った。夏侯尚は、張郃、韓浩とともに天蕩山に向かった。
三人は夏侯徳に会うと、ここまでの敗戦のいきさつを語った。突然、喊（とき）の声が遠くから聞えてきた。「黄忠の軍が攻めてきたぞ」と口々に叫び合う声がする。夏侯徳は、悠然と笑って、「蜀軍は遠路を戦いつづけ、終夜軍を進めて、心身ともに疲れ果てているはず。なのに、さらに進めて、ここを攻め入るとは、兵法を知らないにもほどがある」と言った。「三千余騎を与えてくだされば、老将の首をとって帰りましょう」と韓浩が言うと、夏侯徳は喜んで、兵を与えた。韓浩は三千余騎を率いて、山を下って行った。一方、黄忠は、ひたむきに馬を進めていた。日もすでに西山に没し、
劉封（りゅうほう）は黄忠に、「軍勢の疲労もますますつのるばかり。軍を留めては如何ですか」と言った。劉封のいさめを黄忠は聞かず、鼓を打ち、大声をあげて、勢いをあげた。
黄忠の軍を待っていた韓浩は、黄忠に挑みかかったが、黄忠の水車のように廻す刀にかかり、斬り倒された。韓浩が斬られたとの知らせを聞いた夏侯尚は、急いで兵を率い、黄忠の軍に向かった。その時、山上より喊の声が湧きあがり、蜀軍厳顔が魏軍の陣に攻めてきた。陣所から火の手があがり、
陣中にいた夏侯徳は、消火につとめていた。夏侯徳を見つけた厳顔は、刀をまわして、夏侯徳を馬より下に斬って落した。火は、みるみるうちに、峰や谷を焦がしていった。黄忠と厳顔は、前後より魏軍を攻め立てた。張郃と夏侯尚は天蕩山を捨て、定軍山に落ちていった。
建安二十三年秋七月。劉備は十万の軍を率い、先手は趙雲とし、葭萌関に出た。そこに陣を据え、黄忠と厳顔を天蕩山より呼びよせ、恩賞を与えた。つぎに攻めるは、漢中の定軍山。すなわち魏軍の兵站（へいたん）基地である。劉備は黄忠と厳顔に、定軍山を攻めたいかと問うた。黄忠はよろこんで命をうけ、早速、兵を率いて出発しようとしたが、諸葛亮がこれを止めた。黄忠では、定軍山を守る夏侯淵にはかなわないというのだ。
メモ
●芥（あくた）
ごみ。くず。
●不才（ふさい）
役に立たないこと。
●出来（しゅったい）
事件が持ち上がること。
●喊（かん）
大声をあげる。
●欣然（きんぜん）
よろこんで。