内容
魏(ぎ)の張遼(ちょうりょう)・李典(りてん)・楽進(がくしん)が守る合淝(がっぴ)の城は、魏の境にあり、国防の第一線である。
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前衛の皖城(かんじょう)は、呉軍十万によって落ち、次は合淝に向かっていると、早馬が合淝(がっぴ)の城に報告。
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変を聞いた漢中(かんちゅう)出征中の曹操(そうそう)は、薛悌(せってい)に作戦指導を持たせ、合淝へ向かわせる。
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作戦指導の内容は、「まず城を出て、敵の出鼻をたたき、その後は、城を固く閉じろ」とある。
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張遼は戦場へ向かう。李典も張遼につづいて城門から駆け出す。楽進も二人のあとを追う。
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呉(ご)軍は逍遥津(しょうようしん)まで来ている。
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先頭を行く呉軍甘寧(かんねい)と魏軍楽進がぶつかるが、楽進はたちまち撤退。
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孫権は前進をつづけ、逍遥津の地を離れかけた頃、アシとオギが生い茂るあいだから李典と張遼が現れ、孫権の中軍を襲う。
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逍遥津の一水を渡り切っていない後陣の凌統(りょうとう)は、中軍の旗が乱れるのを見て、単騎で孫権のいる中軍へ向かう。
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凌統が中軍に着いた時には、孫権がいる中軍は敵に包囲されていた。
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声をあげて凌統は孫権を呼び、孫権と合流する。
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孫権と凌統は小師橋(しょうしきょう)まで戻るが、橋の一部が破壊されており、馬はこれ以上前に進まない。
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張遼の兵三千がうしろから孫権と凌統をに向けて矢を放つ。
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孫権と凌統は馬を後ろに下がらせてから、前に走らせ、鞭が折れるくらいに馬の尻をたたき、水面を飛び越える。
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河の方に目をやると、後陣の徐盛(じょせい)や董襲(とうしゅう)の船が見える。
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凌統は橋の上から、「主君のお守りをたのむぞ」と叫び、孫権を残して引き返す。
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楽進を追っていた甘寧と呂蒙は引き返し、魏軍と戦っていたが、各所で呉軍は魏軍に包囲され、おびただしい損失を出す。
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凌統は戦って傷を負い、よろよろと小師橋附近まで逃れる。
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無事に助けられて河中の舟にいた孫権は凌統を見つけ、「凌統をを助けよ」と大声で繰り返し叫ぶ。
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ひとつの舟が岸へ寄り、凌統を救出。
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孫権は軍を呉の濡須(じゅしゅ)まで引き返す。
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呉の国では張遼の名は広まり、幼い子が泣くと母は「遼来々(りょうらいらい)」と言って、子を怖がらせて、泣くのをやめさせた。
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