内容
槍の先に白い布をくくりつけ、それを振りながら、許攸(きょゆう)は曹操の陣に現れた。
曹操は許攸から事情を聞き、受け入れた。
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曹操は許攸に袁紹を破る計を求めると、兵糧はどれくらい残っているのか、と許攸は逆に問うた。
「半年」と言うと、許攸はひどく不愉快な顔つきをした。
「三月」と言うと、許攸は舌打ちをして、嘆いた。
「一月」と言うと、許攸は、嘘はおよしなさい、一粒の兵糧も残っていないはずです、と言い、曹操が荀彧(じゅんいく)にあてた書簡を見せた。
曹操は真実を話したため、許攸は袁紹を破る計を話した。
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曹操は、袁紹軍と同じ兵の軍装、馬飾り、旗を作って、五千の偽袁紹軍を編制し、みずから率いて烏巣(うそう)へ向かった。建安(けんあん)五年十月のときだった。
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偽袁紹軍は烏巣を焼き払い、淳于瓊(じゅんうけい)を捕らえ、夜も明けきらぬ前に引き返した。
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烏巣の空が燃えていると、急報が袁紹の耳に入った。
袁紹は命を下した。
・張郃(ちょうこう)と高覧(こうらん)のふたりは官渡にある曹操の本陣を攻めよ。
・蒋奇(しょうき)は烏巣を救援せよ。
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蒋奇は、暗闇のなか、山間の道を進んでいると、前方から淳于瓊の部下が逃げて来たので、救援軍の中に入れて、進んだ。実は、逃げて来た兵は袁紹軍に偽装した曹操軍の兵であった。
突然、蒋奇の軍に混乱が起こり、兵一万の大半は滅び、蒋奇はうしろから槍で突かれた。
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官渡にある曹操本陣を攻めた張郃と高覧は、待ち構えていた曹仁(そうじん)や夏侯惇(かこうじゅん)の正面へ出たため、大敗した。
退却中の張郃と高覧は、曹操が帰るのにぶつかり、ここでも叩かれ、五千の兵のうち袁紹の陣に戻ったのは千にも満たなかった。
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馬の上にくくりつけられ、耳と鼻が斬られた淳于瓊が、袁紹の陣に届いた。
袁紹は激怒し、淳于瓊の首を斬った。
この様子を見ていた袁紹を補佐する者たちは、失敗すれば斬られる、と不安にかられた。
袁紹配下の郭図(かくと)もそのひとりであった。ゆうべ、官渡にある曹操の本陣を攻めれば、必ず勝つと大いに勧めていたからだ。
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「張郃と高覧の軍が小勢である曹操軍に敗れるはずがありません。ふたりは曹操の配下になろうとして、わざと負けたのです」郭図は袁紹に言った。
つぎに郭図は、引き揚げてくる途中の張郃と高覧に使いを送り、本陣に帰るのは見合わせた方がいい、お二人の首を待っておられる、と伝えた。
そこに袁紹からの使いが来て、早く帰れとの命を伝えた。
高覧は袁紹からの使いを斬り、張郃とともに曹操に降伏した。
曹操はふたりを受け入れた。
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曹操軍は袁紹軍を攻撃し続けたが、袁紹軍は大軍であるため、すぐに崩壊する様子は見えなかった。
荀彧は曹操に策を伝えた。
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曹操は、軍を黎陽(れいよう)、鄴都(ぎょうと)、酸棗(さんそう)の三方面へ分け、進めた。
そのことを知った袁紹は、曹操軍に対抗するため、軍を三つに分け、あたらせた。そのため、袁紹本陣は手薄となった。
曹操は三方面の各部隊と連絡をとり、日と時刻を示しあわせ、一斉に袁紹本陣を攻めた。
袁紹は甲冑をまとう時間もなく、馬に飛び乗り逃げ去った。
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袁紹が置き去りにした物のなかに、書簡があった。袁紹に内通していた者の書簡が曹操の目に入った。
曹操は不問とし、書簡を焼き捨てた。
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獄に入れられていた沮授(そじゅ)は発見され、曹操の前に置かれた。
「降参したのではない。早く首を斬れ」沮授は言った。
曹操は沮授を惜しんで、篤くもてなした。
しかし沮授は隙を見て馬を盗み、逃げ出そうとしたとき、一本の矢が沮授を射抜いた。
曹操は黄河のほとりに沮授の墓をたてた。
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