西部第二戦線(せいぶだいにせんせん) 三国志 五丈原の巻

・蜀軍、羗軍を退ける

あらすじ

魏の叡帝(えいてい)は、曹真が祁山(きざん)で蜀軍に大敗したことを聞き、西羗の国王徹里吉(てつりきつ)に使者を送り、参戦を促した。

国王徹里吉(てつりきつ)は出兵を許し、雅丹(がたん)宰相と越吉元帥は二十五万の兵を率いて、東方の低陸へ進み出した。

羗軍(きょうぐん)が蜀境の西平関(せいへいかん)へ近づいていた頃、祁山(きざん)と渭水(いすい)のあいだにいる諸葛亮のもとへ、援軍を要請する早馬があった。

諸葛亮は、関興と張苞のふたりに、西涼州出身の馬岱(ばたい)を加え、五万の兵で、すぐに向かわせた。

蜀軍と羗軍(きょうぐん)はぶつかった。

結果は蜀軍の大敗である。
蜀軍は羗軍の持っている鉄車隊の威力にかなわなかった。

関興と張苞は諸葛亮の指示を仰ぐため、昼夜をおかず祁山へいそぎ、その間、馬岱(ばたい)は要害の地に退き、この地を守ることにした。

大敗を聞いた諸葛亮は三万の兵を率い、姜維(きょうい)、張翼、関興、張苞を加えて、馬岱の救援に向かった。

西平関に着くと、諸葛亮は馬岱を案内とし、高地にのぼって羗軍を偵察し、陣営に戻ると、策を命じた。

次の日、蜀軍と羗軍はぶつかった。

帯のような狭い沢に蜀軍は落とし穴を作っていた。
蜀軍は羗軍にぶつかっては敗走を繰り返しながら、沢に誘導したため、鉄車隊は落とし穴に落ちていった。
鉄車隊のない羗軍は無力であった。
羗軍は敗れ、馬岱(ばたい)は雅丹宰相を生捕りにし、関興は越吉元帥を斬った。

諸葛亮は、雅丹宰相と捕らえた兵を解放し、本国へ帰してやり、蜀軍は祁山(きざん)へ戻った。

魏軍は、西部方面から戻ってきた蜀軍に叩かれ、渭水から総退却することとなった。

メモ

●壮丁(そうてい)
労役や軍役に服せられる者。

●倦む(うむ)
同じ状態が長く続いて、あきること。

●似気ない(にげない)
ふさわしくない。

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