西涼ふたたび燃ゆ(せいりょうふたたびもゆ) 図南の巻

内容

建安(けんあん)十八年八月。蒙古(もうこ)高原より胡夷(えびす)の猛兵をしたがえて、隴西(ろうせい)の州郡をたちまち征服していく一軍があった。
この軍の大将は、曹操に破れて逃げ落ちていた馬騰(ばとう)将軍の子馬超(ばちょう)だった。
馬超は蒙古族の部落に逃げ隠れ、苦労をかさねて今の地位を得たのである。

ところが、大将韋康(いこう)が守る冀県(きけん)の城は、馬超軍の攻撃に激しく抵抗した。
韋康は長安の夏侯淵(かこうえん)へ援軍を要請したが断られたため、降伏に反対する楊阜(ようふ)を押し切って、城門をひらいた。
馬超は城へ入ると、「戦況が不利になると降伏する人間は使いものにはならん」と、韋康以下四十余人を捕らえてその首を斬った。
一方で、「楊阜は義の男だ」と馬超は言い、冀城(きじょう)の守りを任せるほどに重用した。

ある日。楊阜は馬超に数日の休暇を願い出て、馬超は許した。

楊阜は歴城(れきじょう)にいる叔母に会うと、「隴西の州郡が馬超に征服されていくなか、あなたの息子姜叙(きょうじょ)はこの歴城にいながら、城にこもって何もしませんでした」と泣き崩れた。

帳(とばり)を払って息子の姜叙(きょうじょ)が入ってきた。
姜叙は「楊阜は姜叙が何もしなかったと、お怒りのようですが、あなたこそ、馬超に降伏したではありませんか」と楊阜を罵倒した。楊阜は、自身の降伏は主君の仇を討つための偽りであると説明した。
姜叙と楊阜は義盟を結び、馬超を討つ準備にかかった。

姜叙配下の趙昂は家に帰ると妻へ、「姜叙の君から、馬超を討つ準備をせよと命じられたが、わが子趙月(ちょうげつ)は馬超に仕えている。どうしたらよいだろうか」と言った。
「あなたが大義をすて不義へ走るようなことがあったら、わたくしとて生きてはおりません」と妻は言った。
趙昂は妻の言葉に決意を固めた。

姜叙と楊阜は歴城に残り、姜叙配下の尹奉(いんほう)と趙昂は兵をひきいて、祁山(きざん)へ進出した。

このことはすぐ冀城へ聞え、馬超は怒り狂って、趙昂(ちょうこう)の子趙月の首を斬った。
馬超は、龐徳(ほうとく)、馬岱(ばたい)に指示を出し、自身も歴城へ向った。

姜叙と楊阜の部隊は、白い陣羽織に白い旗をかかげ、馬超軍の進む道をふさいでいた。
馬超は一笑し、白色軍を蹴ちらし始めた。
姜叙と楊阜は祁山の方へ退き、馬超は追った。
祁山に陣していた尹奉と趙昂の部隊は馬超軍の側面を突いた。
姜叙と楊阜の部隊は反転し、馬超へ再攻撃を始めた。
馬超軍は苦境に立つが、盛り返し、反撃に出た。
そこに、馬超軍の後ろから山を越えて曹操(そうそう)軍の夏侯淵(かこうえん)の部隊が曹操の許しを得て、救援にきた。
馬超軍は混乱し、冀城へ向かった。

冀城の前まで来ると、味方であるはずの城中から無数の矢が馬超に向かって飛んできた。
壁上からは、馬超の妻楊氏(ようし)や三人の子、一族の亡骸(なきがら)が馬超のまえに落とされた。
馬岱(ばたい)と龐徳(ほうとく)は「早くほかへ逃げましょう」と促し、追ってくる敵を払いながら馬超らは駆け逃げた。

逃げる馬超は朝霧の中に歴城を見た。
ここにいる味方の兵五、六十騎では、武力で歴城を占拠できない。
龐徳は先頭に立ち、「姜叙の旗本である」と怒鳴りながら、城門内に入った。
城中へ入った馬超の一軍は、姜叙、尹奉、趙昂の屋敷を包囲し、一族の命を奪い、歴城を占領した。

次の日。夏侯淵、姜叙、楊阜の部隊が歴城を攻め、奪回した。
馬超は、馬岱、龐徳と共に、何処ともなく逃げ落ちていった。

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