石兵八陣(せきへいはちじん) 三国志 出師の巻

・陸遜、石人の陣に惑う

あらすじ

火責めにあった蜀軍は総崩れとなり、七百余里の陣線は途切れてしまい、各陣営部隊は個々に呉軍と戦うしかなかった。
そのため、多くの蜀の大将が命を失った。傅彤(ふとう)、程畿(ていき)、張南、趙融(ちょうゆう)、南蛮から援軍に参加していた沙摩柯(しゃまか)など、蜀軍の幹部が相次いで討たれた。
杜路(とろ)、劉寧(りゅうねい)は手勢を率いて、呉へ投降した。
呉軍の陸遜(りくそん)は、劉備の逃げた方向へ追い進んで行った。

魚腹浦(ぎょふくほ)の手前まできた陸遜は、近くの古城で兵馬を休め、その夕方、関上から前方をながめていた。前方の山から殺気が立ち上っているのを感じた。すぐに陣を十里ほど後退させた。
物見の兵を出したが、その報告は、一兵も見ない、というものだった。
そこで今度は、老練な隠密を出した。その報告では、敵兵はいない、しかし、数千の石が石人(せきじん)のように積んであり、そこから殺気が発せられているという。
陸遜は、自身で確認をするため、十数騎をつれて、魚腹浦へ向った。

魚腹浦に、四、五人の漁夫がいたので、陸遜は、石が積みあがっている理由を問うた。
漁夫は、諸葛亮がここに蜀兵をおろし、訓練をしていたが、蜀兵が帰ると、無数の石人が出来上がっていた、と言った。
陸遜は、石人を恐れていたのかと大笑いし、陣に戻ることにした。
進む道は行き止まりであったり、別の道を進むと、もとの道へ出たりと、石人の陣から外へでることができなくなっていた。
陸遜は、このときになって、諸葛亮の計に落ちたことを悟った。
そこに、諸葛亮の舅(しゅうと)の友と名乗る白髪の老人が、陸遜の前に現れ、私についてきなさい、と言った。
老人のおかげで、陸遜は石人の陣から外へ出ることができた。
老人は、陸遜を助けたことは誰にも言わないようにと言い残し、去って行った。

戻るや否や、陸遜は全軍を呉へ引き揚げた。

メモ

●祭酒(さいしゅ)
学政の長官。

●蕭殺(しょうさつ)
もの寂しいさま。

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