内容
火責めにあった蜀(しょく)軍は総崩れとなり、七百余里の陣線は途切れ、各陣営部隊は個々に呉(ご)軍と戦うしかなかった。
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その結果、傅彤(ふとう)・程畿(ていき)・張南(ちょうなん)・、趙融(ちょうゆう)・南蛮から援軍に参加していた沙摩柯(しゃまか)など、蜀軍の幹部が相次いで討たれた。
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杜路(とろ)・劉寧(りゅうねい)は手勢を率いて、呉へ投降。
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呉軍の陸遜(りくそん)は、劉備(りゅうび)の逃げた方向へ追い進む。
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魚腹浦(ぎょふくほ)の手前まできた陸遜は、近くの古城で兵馬を休め、その日の夕方、関上から前方をながめていた。
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前方の山から殺気が立ち上がるのを感じた陸遜は、すぐに陣を十里ほど後退。
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物見の兵を出すが、「一兵も見ない」との報告。
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そこで今度は老練な隠密を出す。その報告では、敵兵はいないが、数千の石が石人(せきじん)のように積んであり、そこから殺気が発せられているという。
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陸遜は自身で確認するため、十数騎をつれて魚腹浦へ向かう。
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魚腹浦に四、五人の漁夫がいたので、陸遜は石が積みあがっている理由を尋ねる。
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諸葛亮がここに蜀兵をおろし、訓練をしていたが、蜀兵が帰ると無数の石人が出来上がっていた、と漁夫は言う。
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陸遜は石人を恐れていたのかと大笑いし、陣に戻ることにする。
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進む道は行き止まり、別の道を進むともとの道へ出たりと、石人の陣から外へでることができなくなる。
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陸遜は諸葛亮の計に落ちたことを悟る。
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そこに、諸葛亮の舅(しゅうと)の友と名乗る白髪の老人が陸遜の前に現れ、「私についてきなさい」と言う。
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老人のおかげで、陸遜は石人の陣から外へ出ることができた。
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「あなた方を出してあげたことは誰にも言わないでください」と老人は言い残し、去って行く。
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戻るや否や、陸遜は全軍を呉へ引き揚げる。
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