私情を斬る(しじょうをきる) 三国志 出師の巻

・劉封を斬る

あらすじ

建安二十五年、曹操は六十六歳で死んだ。
このとき、漢中王劉備は六十歳であった。

ある日、成都の一宮に文武の臣を集めた劉備は、関羽の仇をとるため、呉を討つと言った。
廖化(りょうか)が前に進んで言った。味方の劉封(りゅうほう)、孟達(もうたつ)の二人を処分するのが先だと。
諸葛亮は、まず二人を一郡の太守に転封したあとに、処分するのがよいと言った。
この話を聞いていた彭義(ほうぎ)は、孟達と親しい間柄である。彭義は家に戻ると、今日聞いたことを手紙にし、孟達に渡すよう使いの男に渡した。
使いの男は南城門を出たところで、馬超の夜警兵に捕まった。
彭義は捕らえられ、殺された。

彭義が殺されたことを知った孟達は、自身の危機を感じ、同じ城にいる劉封(りゅうほう)に何も告げずに、魏へ走った。

国境の柵門(さくもん)から劉封のもとに、孟達が関所を破り魏へ入ったとの知らせが入った。
劉封は慌てて追いかけたが、追いつくはずもなく、空しく戻ってきた。

成都からきた急使が劉封に劉備の命を伝えた。ただちに兵をまとめて、孟達の首を討ち取れというのだ。

一方、魏へ投降した孟達は、曹丕の前にいた。
そのとき、劉封が五万余の兵を率いて、国境を越えて進攻しているとの知らせが入った。
曹丕は、劉封の首を討ち取ってこいと命じ、孟達の忠誠を試した。

孟達が襄陽へ着いたとき、劉封の軍勢は郊外八十里まで来ていた。
孟達は、魏に降伏することを勧めた書簡を、劉封に送った。
劉封は、孟達の使いの首を斬り、兵を襄陽城へすすめた。

劉封と孟達はぶつかった。結果は、劉封の連敗となり、劉封は成都へ逃げ帰った。

劉封は劉備の前に出て、弁解し、むせび泣いていた。
劉備は首を斬れと命じ、逃げるように奥へ隠れた。
ある老侍郎(ろうじろう)が劉備のあとを追い、劉封はひどく後悔をしているため、助命をと願い出た。
劉備の本心は、劉封を助けたかったため、その言葉を受けて、劉備は劉封を助命するようにと、老侍郎に命じた。
そのとき、数名の武士が劉封の首を持って入ってきた。
劉備はひどく悲しんだ。
諸葛亮は劉備を言った。こんなことで悲しむようで、大業を成し遂げることができますか。あなたは漢中王です。
劉備はうなずいた。

メモ

●拱手(きょうしゅ)
手をつかねて何もしないでいること。

●憐愍(れんびん)
あわれみの気持ち。

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