死活往来(しかつおうらい) 群星の巻

内容

劉備は曹操へ使いを立てて停戦勧告の文を送る。

その頃。呂布(りょふ)は曹操のいない兗州(えんしゅう)を攻撃する。呂布(りょふ)が兗州(えんしゅう)攻めを考えたのではない。陳宮(ちんきゅう)が呂布(りょふ)に近づき、策を与えたのである。

劉備から停戦勧告の文を読んだ曹操は激怒し、使いの者を斬るように命じる。

その時、曹操は、呂布(りょふ)が兗州(えんしゅう)を攻めているとの知らせを聞く。

曹操は劉備の使いの者を斬るなと言って呼び寄せて、劉備の言うとおり撤兵することを伝え、兗州(えんしゅう)へ戻る。

徐州(じょしゅう)の太守陶謙(とうけん)は曹操の軍が撤退したのは劉備のおかげと、自身の地位を譲ると迫るが、劉備は断る。

劉備は近くにある小沛(しょうはい)という村に駐屯し、そこから徐州(じょしゅう)を守る。

曹操は軍をふたつに分け、曹仁(そうじん)には兗州(えんしゅう)を囲ませ、曹操自身は呂布(りょふ)がいると思われる濮陽(ぼくよう)へ向かう。

曹操率いる軍は、闇夜に山路を越えて濮陽(ぼくよう)城を攻め、西のとりでを占拠する。

飛び起きた呂布(りょふ)は西のとりでに向かい、曹操軍を蹴散らす。

曹操は西のとりでを捨てて城内を逃げ走るが、行く先々に呂布(りゅふ)の兵がおり、城外に出られない。

曹操の配下典韋(てんい)が曹操を見つけ、敵陣のなかを斬り進みながら曹操を城外に脱出させる。

数日後。ひとりの百姓が曹操に密書を届ける。その密書は濮陽(ぼくよう)で一番の富豪である田氏(でんし)からであり、濮陽(ぼくよう)城には留守の兵しかおらず、いまが攻めるときとある。

曹操は軍を三段に立てて、濮陽(ぼくよう)に迫る。

日没の頃。田氏(でんし)の使いという者が曹操に密書を渡す。密書には、銅鑼が鳴れば前進の合図とある。

曹操が軍を進めるているその時、法螺貝(ほらがい)が鳴ったので、田氏(でんし)の合図だと言って号令を出す。

濮陽(ぼくよう)城の正面の門が内側から開いたので、曹操の軍が門内へなだれ込むと、上から石の雨や投げ松明(たいまつ)による火の雨が降り、四門から呂布(りょふ)の軍が現れ、曹操軍を包囲する。

典韋(てんい)は曹操の危機を救ったが、曹操は大やけどを負い、結果は大敗である。

曹操は夏侯淵(かこうえん)を呼び、曹操の葬儀を行うよう命じる。

曹操死すと知った呂布(りょうふ)は、曹操の葬儀の日に攻撃をしかけるが、隠れていた曹操軍に囲まれ、大敗する。

呂布(りょふ)は濮陽(ぼくよう)城へ命からがら逃げて、堅く守る。

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