神卜(しんぼく)

太史丞の許芝(きょし)は、曹操のいる病室へ呼ばれ、曹操に「占い者に見てもらいたい」と言うと、許芝は、管輅(かんろ)という者の名を出した。管輅がどれほどのものかと曹操は問うと、許芝は、語りだした。

燕の卵と、蜂の巣と、蜘蛛とを、それぞれ、箱の中にかくして、どの箱に何が入っているかを、管輅に占わせると、箱の中身を三つともに言い当てたという。曹操は「それから」と、つぎの話を催促した。
は牛を飼っていたが、ある日、その牛を盗まれたので、管輅のところへ泣いてやってきた。そこで管輅が占うと、盗人の居場所を言い当て、役人が盗人を捕らえたそうだ。
ある春の夕べに、管輅が道を歩いていると、ひとりの美少年が通りかかった。管輅は、人相を観る癖があり、少年は三日のうちに死ぬだろうと、つい口走ってしまった。少年は泣いて家に戻り、父親に告げると、禍いをまぬがれる工夫はないものかと、管輅へ泣きついた。曹操は、身を乗り出して、耳を傾けた。管輅は断ったが、父も少年も泣いてやまないため、不憫と思い、管輅は教えた。一樽の佳酒と、鹿の干し肉を持って、南山を訪れなさい。南山の大きな樹の下で、碁を打っている二人がいる。共に、貴人であるから謹んで近づき、酒をささげて、頼んでみるとよいと言った。管輅に言われたとおり、父と少年は、酒を持って、南山へ行った。さまようこと五、六里、一樹の下に、碁を打っている二仙がいた。父は二仙に酒をすすめた。二仙とも夢中になって飲み、語っては、碁にも熱中した。二仙が碁を打ち終ると、父は泣いて訴えた。二仙はびっくりし、困ってしまったが、やがてふところからそれぞれの帳面を取り出した。そして、それぞれの帳面に書かれていた十九の字の上に、九の一字を加えた。そして、天から鶴を呼んで、それに乗り、飛び去ってしまった。十九歳で死ぬところだった少年は、九十九まで生きることになったのだが、天の秘密を世にもらしてしまったことを大変悔やんだ管輅は、以後、誰が何といっても、決して占いをしないことにしている、という。

曹操は許芝(きょし)に、管輅を連れてこいと命じた。管輅はかたく拒んだが、許芝が再三にわたり、懇望するため、曹操の前に出ることにした。
曹操は早速、自身は何か妖気に祟られているのではないかと言い、左慈の事件を話した。すると管輅は笑って、「それは幻術というものです。実際の出来事ではありません。どうして心を病むことがありましょうか」と、いった。曹操は気のはれたような顔をした。曹操は、諸州の形勢、各国の軍備や兵力、文化の進展などについて、管輅に話すと、天数運行の理をもって、管輅自身の考えを述べた。曹操はすっかり感心し、天文や星暦をつかさどり、吉凶を判別する太史官(たいしかん)になって、補佐してほしい、と言った。管輅は、官吏になる相ではないと断った。「己(おのれ)をよく知るものだ」と、曹操はいよいよ管輅を信じた。そのあと後も曹操は管輅に問うた。
「呉の国の吉凶はどうだろう」
「呉では、誰か有力な重臣が死ぬと思われます」
「蜀は?」
「近日、境を侵(おか)して、他を犯すこと必然です」

それから数日が経ったある日。合淝(がっぴ)の城から早馬が来て、呉の魯粛(ろしゅく)が病死したとの知らせがあった。さらに、漢中から使者が来て、蜀の劉備が漢中への進攻を企てていると、知らせた。管輅の予言は、二つとも、的中した。曹操はすぐに出馬しようとしたが、管輅は、「来春早々、都に火の禍いがありましょう。大王は遠くへ出るべきではありません」と、予言したため、曹操は、曹洪に兵五万をさずけて向かわせ、自身は、鄴郡(ぎょうぐん)にとどまった。

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