七軍魚鼈となる(しちぐんぎょべつとなる) 三国志(八)図南の巻

・龐徳、関羽に敗れる

あらすじ

魏軍が陣容を変えたという知らせを受けた関羽は、高地へ登った。
そして案内者に、ここの地形について聞いたのち、たくさんの船筏を作るように命じた。

秋八月となり、長雨が降り続いた。

龐徳の元に、督軍の将、成何(せいか)が訪ねてきたので、二人は酒を飲んでいた。
その時、天地をつつむようなごう音が聞こえた。
外に出ると、濁流の波が攻めてきている。
陣小屋も人も馬も濁流のなかに飲み込まれていった。

これは関羽の策である。
一か月も前から上流に堤を築き、河の流れを止めていた。
そしてこの日、関平に命じて、堤を決壊させたのである。

濁流の中に兵船と筏が現れた。そこには関羽と蜀兵が乗っている。
関羽の船は夜どおし濁流のなかを漕ぎまわり、溺れている魏兵を救い、降人の群れに加えていった。

山の突き出た場所には、魏の旗がひるがえっており、龐徳ら五百の魏兵が集まっている。
朝になり、それを見た関羽は、一斉攻撃を命じた。
蜀軍の隙をついて、龐徳は蜀の船を奪い、逃げ走った。
逃げる龐徳の船の横腹に、蜀の周倉(しゅうそう)が乗る兵船が突っ込み、龐徳は濁流の中に落ち沈んだ。
周倉は龐徳を逃がしてはならんと、濁流の中に飛び込み、龐徳を捕らえた。

関羽の前には、命乞いをする、捕らえられた魏の総司令于禁(うきん)がいた。
関羽は「荊州の獄へ送ってやるから沙汰を待て」と告げると、次に龐徳が来た。
龐徳には、蜀に仕えるようにと薦めたが、龐徳はそれを拒否したため、首を斬られた。

メモ

●軽忽(けいこつ)
軽々しく、そそっかしいこと。

●嶮峻(けんしゅん)
高くてけわしいこと。

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